流れ星を見る者は

さっきまで図書館にいました。
私はそこで本を借りるようにしています。
本に出会ってからというもの、喫茶店や図書館といった、今まで見向きもしなかったところに妙に魅かれるようになりまして、かれこれ30分ほどの距離にある図書館へ、時間を見つけては惜しげもなく通っているのです。

最近は小説ばかり読んでいたものですから、少しはためになる本を、だなんて手に取ったのは、
「失敗する人の法則」
確かそんなタイトルをしていました。

まあそれが、あまり心地よいものではなかったのです。
ええ、もちろん、タイトルからしてそうなのですが、読んでみるとそれはもう耳の痛くなることばかりで。

目標、夢がない、あるいは右往左往している人。
ずっと自分探しばかりしている人。
頑張ることが目標になっている人。

なるほど、もれなくすべて私です。
この場合、耳ではなく目が痛いのかもしれませんが。

もちろんその本を悪いだなんて思うことは、私の倫理と魂に基づいて絶対にすることなどありませんが。
それに選んで読んだのは他の誰でもない私。
それを読んで片腹痛い思いをするような人間であるのも私。
全て、私が悪いのです。

せっかくの図書館による癒しの時間に、まるで説教を食らったかのような居心地の悪さを覚えながら、30分かかる帰り道を、ため息一つ二つこぼしながら歩いていました。
ため息をついたところで、いまさら逃げていく幸せもありません。

言ってしまえば、たかが読んだ本一冊、どうってことないのでしょう。
実際そう思えるならば楽だろうと、これまでに幾数回考えたことでしょう。
別日本に限ったことではないのですが、映画や漫画も然り、私は見たものを必要以上に引きずってしまうのです。
それだけ感受性が高いと、我ながらそう思うことでなんとか今日まで乗り越えてきたのですが。

そうやって歩いていると、月の光がやたらとまぶしいことに気付きました。
明日は満月だそうで、今日の夜空に、その光を先走らせていたのでした。

そして月光輝く空の片隅に、流れ星を見ました。
周りの人々は誰も空を見上げておらず、きっと気付いたのは私だけでした。
良いものが見れたと小さな喜びを一人嚙み締めた後、同時にふと夜空を見上げるのはいつぶりだろうと、久しく思ったのでした。

という事は、私は随分と空を見上げていなかったことになります。
すぐそこにあるのにもかかわらず。
満月でなくとも、半月とか、三日月とか、月に隠れて懸命に輝く星々が。
いつでもそこにあるというのに。
いつからか、そんな夜空を見上げる心を、忘れていたのでした。

願いを唱えることは叶いませんでしたが、流れ星はそんな久しぶりの感情を、例え今夜だけであったとしても、私の心へ届けてくれた気がしました。

別に、今日の夜空のことは、明日になればまた忘れているかもしれません。
ただそれでも、こうしたことを思い出すと、毎日少しずつ、それでいて確実に朽ちていく私の心がまた潤うような感覚を覚えて。
そうして日々に、生を見出すのです。

流れ星を見たとき、もし願いを唱えることが出来たのならば。
その流れ星を見た人と、少しお話をしてみたい。
私のように空を見上げることを忘れた世の中で、
偶然か、必然か、
私と同じく、流れ星に気付いた人と。


いいなと思ったら応援しよう!