夜の越え方

いつからか、胸のみぞおちの方に、臓物を力強く握りしめられているような苦しみが晴れることなく、四六時中付きまとっています。
一日たりとも離れることのないその感覚に、慣れることもなく、今日もまた深い夜に溶けていくのです。

辛い、苦しい。
そんなときどうすればいいのか。
それなりに生きてきましたが、全くわかりません。
調べてみても、マニュアルの通りに綺麗に並べられたそれらしい答えが並んでいて、自分で調べたくせにその検索結果に辟易しながら目を閉じる。

「今辛いことを書き出して、自分が何に悩んでいるかを明確にする」だなんて、今まさに書いている最中苦しく、そして何がそんなに苦しくてつらいのか、わかっているのならば、すでに悩んでいない。

きっと求めているのは、はっきりとした、答えではないのでしょう。
あるいは、一時の気休めや慰めでもないのも確か。
だったら何がいいのか。
私もそう思うのですけれど、私にもわからない。
だからこんなにも苦しい。

誰かに相談する。
何か分からないけれど、胃の中に鉛を鎮めたような苦しみを抱えていて、毎日が辛く、もやはこの悩んでいる体ごとなくしてしまえば楽になるのか。
なんてことを心優しい誰かに行ってみたとしても、きっとその人を困らせてしまうだけでしょうから、私は文字にして、紙の上に、あるいはここに書くのです。
誰にも見られていなかろうと。

この気持ちを吐き出そうと書き綴ってみては、その文章にますます心が引っ張られては悪くなっていくばかり。
決してそんなに多くのことは望んでいません。
ただ、今日も生きていてよかったと、一日の終わりにそう思いたい。
明日も生きたいと。
ほんの少しでいいから幸せでありたいと。
憂鬱や不安なく、静かに眠りたいと。
ただそれだけでいいのに。
それでも、求めすぎなのでしょうか。

数日に一度訪れる、耐えられそうにない夜から逃げるように、私は今ここに書いています。
殴るように、そして叫ぶように書いています。
だからきっと、読んで下さる方には、さぞかし読みにくいものとなっているのでしょう。
ただなんだか、いてもたってもいられなくなって。
紙の上じゃ満たされなくて、ここに来ました。

でも、私が一番怖いのは、いつの日か、こんな心の痛みさえ感じなくなってしまう事なのです。
全てを諦めたように、過ぎる日々を咀嚼することもせずただ飲み込んで、苦しみにも痛みにも慣れてしまって、心が麻痺したように何も感じなくなる。そうなってしまえば、楽なのでしょうけれど。

しかし、どうしてか、この心の痛みを、忘れるようでは居たくないと、そう思ってしまうのです。
解放されたいだなんて思いながら。
苦痛に喘ぎながら。
何も感じなくなってしまうよりはマシだとして。
そんな、歪んだ自愛を抱えながら生きているのです。

肌寒くなると、寒さとともに寂しさも運んでくるようで、だからこそこんな気持ちになるのでしょうか。
別に寒かろうとそうでなかろうと、私の心はあまり変わらないものですが。
しかし、この憂鬱を、少しだけ、寒さのせいにしてしまいたいものです。

でもやはり、辛いことには変わりなく。
こんな夜の越え方を、私はまだ知らない。


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