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スピリチュアルな体験と現実の一致

先のチャネリングメッセージにあった【光のマスター】の指摘の通り、「現実の出来事とスピリチュアルな思想の一致」は事実なのですが、私にとっては驚天動地の体験でした。

ポジティブな体験として、「現実とスピリチュアルな思想の一致」を意識し始めたのは、江原啓之さんの「スピリチュアルタイム(立川講演)」へのご招待でした。

当時は、江原啓之さんがテレビ出演していた「国分太一のオーラの泉」がお茶の間の話題の中心で、私もスピリチュアルが現実味を帯びてきたと思っていました。

チャネリングで下した個人へのメッセージは見事なもので、スピリチュアルが現実として受け入れられる切っ掛けと期待しましたが、ある時を境に、テレビから姿を消しました。

多くの芸能人に対して行われた霊言は、あまりにも個人の真実を言い当てており、中には怯える人物も出ていたのをよく覚えています。

江原さんの何とも言えないお茶の濁し方から、その人物の闇の深さに思い至りました。

そんなこんなでしたが、積極的に講演会(スピリチュアルタイム)のチケットを入手した訳ではなく、著作を読んで、あわよくばとの思いで、ご招待に応募したのを覚えています。

著作の中で、「講演会へのご招待は、人生の転機」と書かれていました。

それまでの私は、スピリチュアルと言うよりも疲弊した現実と最低の悪夢の体験ばかりで、心身共にクタクタな状態だったのです。

そして好転の兆しとしての夢見はあるものの、現実の状況との乖離が甚だしく、心霊的な体験ではあっても、精神的な問題としてしか受け入れられなかったのです。

この夢見が「明晰夢」と呼ばれる現象であると知ったのもずっと後の事です。

ちょうど嫁と出会ったばかりの頃で、その話題(オーラの泉)で盛り上がったのを今でも覚えていますが、この出会いでさえもが、スピリチュアルな縁(導き)が関係していると解かったのもずっと後の事です。

そして、「スピリチュアルタイムへのご招待」を境に、事実として、人生の好転が始まったのです。

江原さんとは、会ったことも、話したこともない訳で、なぜご招待されたかは、神のみぞ知ると言ったところです。

そう言った意味で、私は「超能力者」でも「霊能力者」でもない、「普通の人」なのです。

あえて言えば、「気づきを得た」に過ぎないのです。

そして結婚後、リーマンショックを切っ掛けに、新たな就職先に従って各地を転々とする中で、いつしかここ京都へと誘われていたのです。

そして職も安定し、気づけば10年の歳月が経とうとしています。

ここ京都が、「秦氏の聖地的な場所」だと知ったのは、越して来てから暫く経ったころでしょうか。。。ちょうどその頃に『「真言の心柱」の明晰夢』も見ています。

その時の驚きと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。

そして、北九州、宗像大社、宗像三女神(航海と導きの神)、市来島姫、スサノウの尊、空海さん、秦氏、平安京、京都へと意味が一直線に繋がって、俄かに「現実とスピリチュアルな思想の一致」が、事実となり始めたのです。

それまで京都は、お寺が多い文化都市のイメージだけで、なぜ皆、京都京都と騒ぐのかと訝しむくらいの知識しかありませんでした。

まあ、バリバリの理系(大学は、理学部物理学科です。)だったことも関係しています。

これらスピリチュアルな体験は、全てが「自力」ではなく「他力」により形作られますが、決して自助努力を惜しんだ訳ではないのです。

それは、御蔵島での嫁との出会いに至った経緯も同様です。

まさに「自力」では到底叶わない奇跡の縁を、「他力」によって充たされた体験だったのです。

これを一言で言うならば、「他力本願な体験」とでも言えば良いのでしょうか。

これらを作り話と考える方が多いのは理解できますが、正真正銘、本当に起こった出来事なのです。

私が、「アセンション(意識進化)」とか「シンクロ(意味共鳴)」とか「光のマスター」とか「アルクトゥルス(9次元存在)」とか書きまくっているのは、こう言った人生体験の積み重ねが、背景にあるからなのです。

今まで何度も書きましたが、これらは決して「何かが見えたり聞こえたり」する類の体験ではありませんし、「スピリチュアルな知識や思想」への独善的思い込みでもありません。

そう、まだまだ気づいている人は小数ですが、もう既に「目には見えない場のシフト」は、始まっているのです。

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