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スピリチュアルな奥義である、「顕在化」について。
ふたたび、前回の横道の続きです。
ひどい夏風邪をひいてしまいました。
発熱に耐えながら、ただ布団に包まって寝転がっていると、過去に起こったいろいろな出来事が思い出され、自然と考える機会も増えて来ます。
そんなおり、ダニエルさんのチャネルを経由して、∞9次元「アクトゥリアン評議会」の新たなメッセージが届きました。
そして内容を読み進めて行くと、数々のスピリチュアルな体験とメッセージの内容が「意味共鳴(シンクロ)」を始めたのです。
それが冒頭の『スピリチュアルな奥義である、「顕在化」について』です。
① 自分の顕在化する力に対する信頼を示す最も簡単な方法は、それを手放すことです。それがいつ叶うのか、そして本当に叶うのかということさえ、切り離すことができれば、あなたはすでに創造したものを受け取るための正しいバイブレーションにいることになるのです。もしあなたが、この特定の顕現がすべてであり、自分の幸福はそれ次第だと考えるなら、その実現は遅れることになるでしょうし、もしあなたがそれを受け取ることに心を開いたとしても、あなた自身が失望していることに氣づくことになるかもしれません。なぜなら、あなたの幸せは、あなたの内側からやってくるものでなければならないからです。
いろいろと願望が大きくなり、常にその事に焦点を当て続けると、失望の方が大きくなり続ける事に気付きます。
過去に起こった「奇跡(例えば私の結婚願望など)」を思い返すと、その願望があまりに非現実的なため、完全に「諦観の境地(実現の可能性を見切った諦めの状態)」にあり、それを手放す事がかえって容易だったりするのです。
反対に今であっても、「場を信頼して生きる生き方」を体験により知っていても、その願望が強ければ強いほど、その願望自体に囚われてしまい、実現を妨げる事が起きたりします。
つまりビキナーズラックの様な「顕在化」が、「奇跡」にはあるのです。
もっと修練(座禅も同様です)を積んで、「その境地」を自分のものに出来れば、「顕在化」の頻度も高まるのだと思います。
② あなたの外側からやって来ざるを得ず、あなたをそのような状態へ追い込んでいるような経験は、すべて消し去ることができます。あなたには今この瞬間に集中していることを選択する力があり、過去から思い起こしていることを選択する力があるからです。また、あなたには未来に何を期待しているかを選ぶ力もあります。
つまりこの「すべて消し去る」意識が、「場の意識」と呼んでいる「意識の境地」です。
誤解を恐れずに言えば、これらの意識は「自立した個人」にしか実現できません。
「場」は、中和したり、増幅したり、集中したり、逸らしたりが可能です。
過去に遡って、塗り替えることも可能です。ただし、「出来事自体」を無かった事にするのではなく、あくまでも、「出来事の意味」を塗り変える(オーバーライドする)のです。
また、あまりに恐ろしくて中和出来ない何かの場合でも、逸らすことは可能なはずです。
それを妨げるものは一体何か。
これこそが「過度な依存(例えば、自分以外の他の誰かの言い分とか、目の前にある大きな権威の言い分とか)」を無意識に忖度してしまう「心の思いぐせ」なのです。
③ マスターの道とは、欲望のない人間になることではなく、むしろ、欲望を持ち、自分の幸福はその欲望の実現に左右されないことを悟ることなのです。皆さんは精神的な世界と物質的な世界を同等に生きることができます。自分の内側に入ることも、自分の外側に集中することも、同等に生きることができますし、あなたが今地球で行っていることの一部は、この相反するように見えるものすべてを統合することだと知りながら、そうすることができるのです。
私には、たくさんの願望が有り、欲望が有ります。
覚醒者と言えども、それを無視した現実は有り得ませんし、「バランスを欠いた人間関係」には、必ず無理が生じます。
つまり、「関係の意識(内面的な力動軸)」とは、常にそうで有り、相対的な人間関係には、必ず「アンバランスの解消」が生じます。
このアンバランスが許されるのは、「場の意識(外面的な進化軸)」の方向性であり、そこには、必ず「愛」が、対価として存在します。
この相反する「二つの意識」の統合は、それぞれの意識の内側に、「幸せの進化」を創り出すのです。
④ あなたはこの生涯でアセンションしているのですから、すべてのことを少しずつ経験し、すべてを結びつけて、すべてが一つであること、私たちすべてが一体であり、ソースであることの表れであることを認める、調和のとれた全体となることができるのです。そして、そのためには統合が不可欠です。
だからこそ私は、「奇跡の結果」に対する探求者であり、求道者でもあり、「関係の意識」と「場の意識」が常に一体であること、「ソースの表現」であること、「調和の取れた全体」であることを認め、そしてこれらの全てが、「地球意識」による「奇跡の表現」であることをも認め、「統合した現実を生き始める」人生を実現するのです。
⑤ 自分の願望を持ち、顕在化させたいものを何でも創造し、そこに入るたびに完全に満たされた氣持ちになれるような豊かな世界を自分の内側に持てば、すべての世界を同時に笑顔で生きられるようになるということです。
「豊かな世界を自分の内側に持つ」とは、決して精神を使って、実現したい願望を無理やり叶ったと思い込むことではありません。
自分の願望を持ち、顕在化させたい全てを「諦観」することで、受け入れて手放す事が、「場の意識」から「関係の意識」へのスムーズな流れを創り出し、常にアンバランスな感覚を「精神の内側」に持ち続けることで、いつしかアンバランスは解消され、奇跡としての現実が、召喚されうると言うことです。
そして私の様に、すべての世界を同時に笑顔で生きられる、相反する「二つの価値観」が一体となる人生を、生きることが出来るのです。
さて、如何でしょうか。
ザクっと言うと、コレこそが私が経験した、奇跡を呼び込む「顕在化」のスピリチュアルな奥義です。
これらが、「9次元存在」との「共同創造」であるとの解釈が、もっとも合理的と考え得る「顕在化」のあらましです。
そんな「奇跡」が、実際に起こったのであり、人間精神と地球意識の意思交換が、物語性(精神作用)と神性のエネルギー交換として、解釈されるのです。
さて今度こそ、大地が持つ、神性と物語性のエネルギー交換について、もっと書きたいと思います。