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「空間共鳴」とか「意味共鳴」とか
公私共に、忙しい毎日を送っています。
気候も過ごしやすく、レジャーにはもってこいのシーズンですね。
週末の休日は、「こんだ薬師温泉ぬもりの郷」に日帰り温泉に行き、そこからの帰りに「猪名川天文台アストロピア」で、プラネタリュームと夕日を楽しんで来ました。
本当は奇岩地帯をハイキングの予定でしたが、温泉へ先に行ったため、現地への到着が遅くなり諦めました。
まあ、そもそも温泉に先に行くこと自体がどうかしてますが。。。
翌日が雨の予報でしたので微妙な天気でしたが、久しぶりの家族旅行を楽しみました。
温泉は鄙びた場所でしたので人も少なく、思いのほか施設も広くて快適で、のんびり出来ました。
息子と湯船につかりながら上空を見上げると、上層の雲と、その下を別の雲の塊が、ゆっくりと通り過ぎて行き、まるで立体映像の様で印象的でした。
そして帰りの天文台のある山の頂上では、だいぶ雲行きが怪しくなっており、黒い雲が頭上に垂れ込めて夕日が見られるか微妙な状況でした。
ですがしかし、プラネタリュームが終わった後は天気が回復していて、海まで見渡せる山の頂で、のんびりと夕日を楽しむ事が出来ました。
まあ今回は、願掛けもしていないし些細な出来事なので「単なる偶然」だとは思いますが、プラネタリュームで見た日没後の一番星が、牛飼い座のアルクトゥルスでした。。。。
まあ、「単なる偶然、されど偶然」ですかねえ。
さて、私は時おり、「空間共鳴」とか「意味共鳴」とかの言葉を使用します。
「覚醒」が訪れると、これらの「言葉」が大きな意味を持ち始めます。
これらの「存在」は、私に対して、「決して言葉では語り掛けて来ません。」
何も見えませんし、何らかの「対象化された存在」でもありません。
これらの「高次元存在とのコミュニケーション」には、「関係の意識(言葉による)」を一切使用できません。
「場の意識」は、「対象化された存在に対して働き掛ける類の意識」ではなく、何らかの雰囲気の様な、「不確定な何かを感じ取る意識」なのです。
「秦氏」も「空海さん」も「アルクトゥルス」も決して言葉で語ってはくれません。
これらとのコミュニケーションは、「空間共鳴(シンクロ)」により「意味性自体」を、「場の意識」を使って「空間から掘り出す」のです。
「シンクロニシティ」が、「意味性の繰り返し」で溢れているのは、何らかの「存在」の働き掛けが、人間の「関係の意識」に影響を及ばすからです。
これらは、「場の意識(潜在意識)」に感知された「意味エネルギー」が、「高調波」を伴って「関係の意識(顕在意識)」の中に表現されるのです。
これらの知性を「能動的知性」と表現するのは、出来事に対する新たな理解を、能動的に、創造的に、現実たらしめる知性だからです。
既に「自然界に普く存在する知的な表現」を、「受動的に理解する知性(科学的知性)」ではないのです。
つまり、『不確定な何かを、「存在」と共に、確定へと至らしめる知性』なのですから。
「覚醒」が訪れると、これらの出来事が、半信半疑から段階を追って、生活の中に、実現され始めるのです。
おそらく屁理屈に感じられると思いますが、こう言った出来事が頻繁に起きて、徐々に信頼感へと繋がって行くのです。