「神聖な雰囲気」の朝湯体験でした。
久しぶりに「ホテルエミナース」の近くの日帰り温泉に行ってきました。
そこはもともと「ホテルエミナース」が保有していた温泉ですが、今では、竹の郷「万葉の湯」となっています。
我が家からは、車で15分ほどの距離にありますが、「万葉の湯」に買収されてしまい、入浴料が少々お高めとなり、足が遠のいていました。
そこは洛西ニュータウンの中にあり町場のわりに泉質が抜群で、2種類の温泉を源泉かけ流しで楽しめます。
最近、朝ぶろの割引がある事がわかり、久しぶりに温泉を楽しみました。
湯船にゆったりと浸かっていると、湯煙に朝日の光の筋が差し込み、「神聖な雰囲気」に充たされました。
さて、こういった「神聖な雰囲気」は、以前にも味わったことがあります。
その時も温泉の湯船の中でしたが、こことは違う場所で、シチュエーションも違っていました。
それは、私達が京都へ越して来たばかりの頃で、その温泉もオープンしたての日帰り温泉(宇治天然温泉「源氏の湯」)でした。
当時は、近隣の人達もあまりこの様な温泉施設に馴染みがない様子で、とてもゆったりと入浴を楽しめたのです。
時は夕暮れ、空にはクッキリと「幽玄な三日月」が照り輝いていました。
暫く月を眺めていると、近くで小さな姉妹と思しき女の子のはしゃぐ声が聞こえて来たのです。
その子たちは天真爛漫で、湯船の近くに設置された東屋風の舞台の上を、はしゃぎながら絡み合っていました。
その姿は、三日月の下を一糸まとわぬ姿で舞を舞う、「お河童の天女」に思えたのです。
何たるセクシャリティー、何たる心地よさ、何たる神聖さ。。。
その情景は、5年以上もの歳月が流れた今となっても忘れられません。
そしてそこから、怒涛の様な、書籍を巡る「シンクロの旅」が、始まったのです。
そしてこの度も、セクシャリティーこそありませんでしたが、神聖さがその場を支配していました。
そしてその数日後、京都駅の本屋で、ある書籍に巡り合ったのです。
パット顔を上げると、残り一冊となっていた、まさに私のための書籍が、目に飛び込んできました。
その書籍の名は、東北大学名誉教授 田中英道著「京都はユダヤ人秦氏がつくった」です。
これは、私が京都に導かれて以来、ブログに何度も何度も書き続けて来た、ど真ん中のテーマです。
そこは、毎日、毎日、その中心地一帯である、大津、京都、本願寺前、太秦、広隆寺前、嵯峨、嵐山、大堰、渡月橋、桂を巡り巡って通勤を繰り返している場所そのものなのです。
まさに日本人の「スピリチュアルな中心」の開示が、始まった感覚です。
ですが、私が伝えたいのは、決してこの書籍の内容のことだけではありません。
それは、私に向って「意味共鳴(シンクロ)」して来る、摩訶不思議な「空間共鳴体験」そのものなのです。
さあ、ますます面白くなってきました。