ハイデガーの「野の道」と「目立たぬもの」とは。3
前回は、轟孝夫氏の著作【ハイデガーの哲学『存在と時間』から後期の思索まで】を引用しながら、【ものへの放下】について語ってきました。
そしてこれを「意識進化の必要条件」として考察しました。
そこで指摘したいのは、私の持論でもある『「場の意識」の方向性』についてでした。
さらにこれらの信頼が、『「人間の本質」が、「空間構造」であるとの理解から来ている』とも書きました。
この「空間構造」としての「自己の意識」とは、素粒子(3次元意識の基底)に向かって根源化された時に発現される「場の意識」、つまりは『次元垂直な、高次元へと開かれた態度となる』とも書きました。
ChatGPT4でさえも、この構造を「人間の意識の本質の有力な候補」として「総括」しているのです。
そしてこれが、『量子力学で言う「不確定」な態度』となり、何処かの段階で発現(覚醒)へと至る時に「確定」される、『「将来-現在-過去」と言う時間の拡がり』として、体験されたことも書きました。
さらにこれらは、『「大地」、「世界」、「人間」、「神々」が相互に連関しあいながらひとつの全体を形作っている』、文化的、神話的な体験であったことも網羅しています。
これらは、『ハイデガーの「野の道」と「目立たぬもの」』の理解へと至る道となると、私は考えるのです。
だからこそ私は、ハイデガーを「大先輩」だと何度も述べているのです。
では、「意識進化の十分条件」とは、一体何でしょうか。
私はこちらも、体験からある程度推測することが出来ます。
これが、「人生の覚醒期」に体験された、∞9次元「アクトゥリアン評議会」のチャネルとのシンクロ体験(意味共鳴の体験)自体がヒントとなるのです。
それが、最初に現実と交差したのが「野の道」だったのです。
今でも昨日の事の様に思いだします。
「人生の暗黒期」の真っただ中で、電線の上の尾の長いつがいの小鳥が、巣作りの小枝を、私の目の前に落とした瞬間です。
私はこの瞬間を見逃しませんでした。
この『「目立たぬもの」のメッセージ』を、現実として受け止めて、一目散に駆け寄って、これを拾ったのです。
そこまで追い詰められていたとも言えますが、そこから怒涛の様に人生の好転が始まって、「人生の光明期」を経て、ついには「人生の覚醒期」へと至る事となったのです。
その間に職場の変転と共に、「埼玉北部」⇒「東京小平」⇒「鳥取東部」⇒「京都太秦」へと異動を繰り返し、現在に至っています。
そしてその異動のすべてに、「秦氏(宗像三女神)」と「須佐之男命」のご縁が感じられるのです。
そして「人生の覚醒期(京都)」にて『∞9次元「アクトゥリアン評議会」のチャネル』のメッセージとの「意味共鳴(シンクロ)」が起こり、現在へと至るのです。
そう、まるで私の「奇跡的な人生の変転」と「他力本願な境地への変化」を見透かすかのように。。。
そしてこの『「目立たぬもの」のメッセージ』を、科学的価値とも両立可能な現実として受け止める「創造的な感性」こそが、「意識進化の十分条件」だと、私は考えるのです。
そう、信仰でも思想でもないもの。
これこそが、科学(受動的知性)でさえも超えて含まれる「能動的知性」なのですから。
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