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人生のかたち

毎年、この時期になると忘年会で酔っ払ったサラリーマンの姿をあちこちで見かける。
羽目を外しているのか仲間とふざけあったり戯れあったり、楽しそうに見える。
しかし、冷静に考えれば普段仕事でがんじがらめになっているストレスを年に一度のこの時に発散しているのであろう。
今年はそういう光景はあまり見られないかもしれない。
僕は40代後半になるが、流石に年齢には逆らえず、どんどん「おやじ趣味」に傾いてきた。
20代の頃はクラブで踊ったりしていた時間が楽しかったが、今は気後れして行く気がしない。
30代の頃は今よりまだ社交的で、バーやスナックのような店で店の人や客と会話を楽しんだりした。
しかし、少なくとも今は会話はなくてもいいが、落ち着いて酒や食事そのものを楽しむだけの店に足が向いてしまう。
若い人は喋るスピードも速いし、はっきり言ってうるさいと感じることが多いのである。
カラオケも演歌を歌うことが多くなった。
僕の場合、余程打ち解けた人がいる飲み屋でない限り身の上話はしない。
話し出すと面倒臭いことになってしまうからである。
初対面の女性とも結局自分の詳しい話はしないまま会わなくなってしまうことが殆どである。
自分を曝け出さないのは自分自身望んでいることではないが、そうせざるを得ない場合が多いのが実情である。
格好をつけて言うつもりはないが、僕はそういう生き方しかできない男である。

テレビ番組で、「あなたの理想の生き方はどういう生き方ですか?」との問いに対し、「自由に生きる」と軽々しく答えた若者がいた。
しかし、完全に自由な生き方など誰もできないのだと思う。
それは、一つは人間誰しも生きていく上で何らかの制約・束縛を受けるためである。
まず、普通の人間であれば自分で稼げるお金には制約がある。
お金である程度の自由が買えるとすれば、稼げるお金に制限があるならそれで自由は自然と制約を受けるのである。
億万長者と呼ばれる人でさえ何らかのかたちで社会と関わっている以上、そこには社会の目という束縛がある。
人間には生まれた時から既に決まっている事が沢山ある。
性別や人種や外見や体型など身体的な事、生まれ故郷や生まれた国や家柄や家族などの環境的な事などである。
そして、人それぞれ生まれ持った性質によって、勉強が得意な人、スポーツが得意な人、音楽が得意な人などに分かれる。
勉強はその人の持っている学習能力、スポーツはその人の持っている身体的能力、音楽はその人の持っている感性的能力を必要とする。
だから、それらの能力が不足していれば自分の力で出来る事に自然と制約を受ける訳である。
そういう訳で人間は誰しも自分が理想とする生き方を生きている訳ではなく、多かれ少なかれ何らかの制約や束縛を受けた上で、その枠の中で生きているのだと考えられる。

我が国には「逃げ切り世代」と「貧乏くじ世代」が存在すると言われる。
逃げ切り世代はいわゆる団塊の世代で高度経済成長の時代、就職にはそれほど苦労せず、また、終身雇用が常識とされていた時代を生きてきたが故に老後の心配もそれほどしなくて済む、比較的生涯安定した生活が多くの人に保証されていた世代である。
厚生労働省の定義では現在の70〜73歳としているが、1947〜1949年に生まれた人口が様々な理由で突出しているためであり、広義での団塊の世代はもっと広い年齢を含めた現在の高齢者を指す。
貧乏くじ世代はいわゆる団塊ジュニアの世代で、バブル崩壊後の就職氷河期に就職活動をせざるを得ない状況に直面し、また、いわゆる失われた20年の間に非正規雇用に就くことを余儀なくされた人が多く、年齢の範囲は様々な説があるものの、概ね現在の40代の世代である。
この世代は「ロストジェネレーション(失われた世代)」、または略して「ロスジェネ」とも言われる。

僕は現在非正規雇用で働いているが、ロスジェネ世代である僕はこの世代間の価値観や人生観の違いを度々痛感させられる。
仕事の現場に派遣スタッフとして行くと、初めての現場なら当然、上の人からの指示を受ける。
そういう現場で働いている人の中には、「仕事の鬼」のような人を度々見かける。
はっきり言って見た目は冴えない中高年だったり、近眼の眼鏡を掛けていたり、汚い作業着を着ていたりして、決して立派な外見とは言い難い。
しかし、仕事に関しては厳しい。
そして、派遣として来ている我々より一生懸命仕事をしているように見える。
それは我々派遣スタッフが社員の人間より責任感に乏しいことも一理あるが、それを除いて考えても、仕事に対する真面目さは目を見張るものがある。
そして、失礼を承知で言うなら、そういう人は仕事ができることだけが取り柄の人間かもしれないなどと勝手に想像してしまうのである。
僕のような派遣スタッフが働くような現場の仕事は、はっきり言って社員の人でさえそれほど高度な技術や能力を必要とする仕事などないに等しい。
僕はそういう人の日常を想像してみた。
その人が結婚しているかはわからない。
しかし、結婚しているとすれば、朝、妻が用意した質素な食事を頬張るが、妻との会話は殆どない。
朝早い時間の電車に乗って出掛けるが、その間はタブロイド版の新聞の政治欄や経済欄を読んだり文庫本の小説を読んだりしている。
仕事の現場では朝から晩まで精一杯働く。
仕事が終われば妻が食事を用意してくれているため、飲みにも行かずパチンコ屋にもキャバクラにも寄らずに真っ直ぐ家に帰る。
子供はとっくに結婚して家庭を築いているため家にはいない。
夕食を食べている間も妻との会話は必要最低限の会話である。
それでも一応一家の大黒柱であるので家庭での威厳は保っている。
夕食の後はテレビでニュースやドキュメンタリーなどの番組を見ながら、焼酎と妻が用意してくれた肴で晩酌をする。
趣味と言えば、盆栽か囲碁である。
朝は早いので毎日同じような早い時間に寝る。
大体このような生活を想像してみたが、今の中高年の男性にはこのような生活を送っている人も少なくないのではないか。
僕等の世代には味気ない生活に思われるが、そういう生活を送ることになった背景の一つに高度経済成長時代の仕事を真面目に頑張っていれば人生安泰というステレオタイプな人生観が影響しているのではないだろうか。
しかし、いざ死ぬ時になって、このような人の人生とは一体何だったのかと思ってしまう。
この人の人生は、社会的に言えば、精々会社の過去の社員名簿に記されるぐらいしか残らないのではないか。
しかしながら、それはそれで一つの人生観であり、一つの生き方であることは言うまでもない。

インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーは、当時、事実上支配していたイギリスに対して民衆を率いて不服従運動を展開した。
イギリスの綿製品の不買運動を扇動し、インド人自らが糸車で綿を紡ぐことを促した。
インドの国旗の糸車はこれが由来である。
また、イギリス政府の課する塩税に反対し、民衆を率いて海まで「塩の行進」をして、インド製の塩を作ることを目指した。
ガンジーは78歳の時に暗殺されたが、弁護士という高い社会的地位にも関わらず、亡くなった時の財産はいつも身に纏っている白い衣や眼鏡や草履などの他に殆ど財産と言えるような物は所持していなかった。
それでもこれほどの偉大な人物になれたのである。

「人生は短い」とよく言われる。
僕が言ってもあまり説得力はないかもしれないが、老人がそう言うのだから真実なのだろう。
英語では生活も人生も共に"life"と言うが、生活と人生は似ているようで違う。
生活に重点を置いた生き方も一つの生き方である。
しかし、生活だけではなく自分の人生に重点を置いて考えれば生き方は自ずと変わるに違いない。



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