見出し画像

杣おじさんの毛針

 前日、宿の主人に詳しく教えてもらった5万分の1地図を妻と二人でのぞき込みながら車一台がやっと通れるくらいの細い林道を運転していた。西の又沢林道というこの林道は幹線林道から分かれて同名の沢に寄り添うようにして走っていた。気持ちは急くのだが道路のあちこちに鋭い岩の破片がころがっており、パンクが怖くて思うようにスピードが出せない。

「しばらく行くと、道がヘアピン状に折れ曲がっている。その少し手前に車を停めるスペースがあるから、そこで降りて反対側の草むらを捜すと沢に下りる踏み分け道がある。」

宿の主人が話していた言葉を思い出しながら、車を停めてあたりを捜すと茂みを下りる急な小道があった。草木のすきまから沢が見え隠れしている。はやる気持ちを押さえて、滑らないように注意して下りると幅2メートルぐらいの沢が目の前を流れていた。生まれて初めての渓流釣り、はたして岩魚は釣れるだろうか。河原の大きな石の上に座ってこの日のために買い揃えた道具を取り出した。とは言っても、竿と針こそ新しく買ったものの、おもりは今までへら鮒釣りに使っていた板おもりの流用であるし、ウエーダーのかわりに軽登山靴とトレパン、びくに至っては家にあったトイレ掃除用の青いバケツといった有様で、初めてとはいえ今から考えると思わず吹き出してしまいそうな出で立ちであった。目の前の沢は瀬となっており水深は10cmくらいだった。エサのみみずを針につけて振り込むのだが、それまで止水での浮き釣りしかやったことのなかった私はミャク釣りというものがさっぱりわからず、板おもりは瀬の小石の上をごろごろところがり、針が石に引っかかるばかりで魚はさっぱり釣れない。1、2時間もそんなことを繰り返しているうちに渓流釣りは難しい、もうやめようかという気になってきた。妻も後ろで暇そうにしている。
 その時、前の晩に宿の主人が貸してくれた毛針のことをふと思い出した。あんなもんで魚が釣れるとはどうしても思えなかったが、他に手がないし試しに使ってみるかという気になった。毛針の入った写真のフィルムケースのふたを開けるとさまざまな色の毛針がぎっしり詰まっていた。あてずっぽうで一つ取り出して道糸の先に結んだ。軽い毛針はうまく飛ばず、何回か振り込んでようやく流れに乗った。小さな毛針が水面を見え隠れしながら流れて行く。私のちょうど斜め横を流れ去ろうとした時だった。水面に小さなしぶきが上がって今まで見えていた毛針がどこかに行ってしまった。と、竿先にぶるぶるという感触が伝わってきた。反射的に竿を上げると小気味のよい手応えとともに毛針に6寸ほどの魚がぶらさがっていた。手に取ってみると写真で見たことのある岩魚にそっくりだ。

「これが岩魚かあ。」

うれしさがこみ上げてきた。妻に青いバケツに水を張らせてその中に放してやると、岩魚は気が狂ったようにバケツの中をぐるぐると回った。


 前の晩のことである。夏休みをもらった私と妻は、秋田のある温泉宿に泊まっていた。以前から興味を持っていた渓流釣りに今年の夏はぜひ挑戦してみようとこの宿を選んだのであった。山奥でいかにも岩魚が住んでいそうな渓流が付近にいくつもある。
「女将さん、この辺でどこか岩魚の釣れるところはありませんか。」
追加して頼んだビールを部屋に持って来てくれた宿の女将さんに尋ねてみた。明日の釣りはどこでやろうかと二人で相談していたところだった。女将さんは「あとで主人を来させますから。」と言って出て行った。しばらくするとご主人がやってきた。年は40歳代、山で鍛えたらしいがっしりとした体格の人だったが下腹部が少しばかりたるみかけていた。よく日に焼けた顔が晩酌のせいでさらに赤黒くなっていた。私と妻がお膳の前に向かい合って座っているその横にどっかとあぐらをかいて座った。
「渓流釣りに来たんだって?」
「ええ、そうなんですけれど、渓流釣りはまったく初めて、この土地も初めてで、明日はどこに行こうか迷っていたところなんです。初心者でも釣れるいいところはないでしょうか。」
「そうか、そうか。」
と御主人は急に相好を崩して上機嫌に話を始めた。
「昔はこんなに大きな岩魚が釣れたんだ。」
と言って両手を広げたその大きさはざっと50cmはありそうだった。また、両手で輪を作って示した胴の太さは丸まると肥えてビール瓶くらいありそうだった。宿の玄関を入った時、大きな岩魚の剥製が壁に飾ってあったが、その大きさは確かにそのくらいありそうで、あながちお酒の勢いで話が大風呂敷になっている訳でもなさそうだった。
「そんなに大きいのがいるんですか。」
私と妻は顔を見合わせた。御主人はこの水系のことならまるで毎日手入れをしている自分の庭のようにどこの沢でも熟知していた。
「まったく初めてなら、西の又沢という初心者向きの沢があるからあしたはそこに行くといいね。あそこは型はあまり良くないが、数は一日やれば、そうだな、ざっと100や200は釣れるよ。」
とまるでハゼ釣りみたいなことを平気で言うのだった。
「ところで、地図を持って来たかい。」
「5万分の1を買ってきました。」
と折り目の真新しい地図を畳の上に広げた。3人で地図の上に身を乗り出した。
「この林道をずうっとまっすぐ行くと沢を渡る橋がある。この沢が西の又沢で橋の手前で林道が分かれているから、これをどこまでもまっすぐ行くと、ヘアピンになっているところに出る・・・」
と地図には載っていない林道をボールペンで書き込みながら沢への降り口や駐車スペースなど事細かに教えてくれた。
「沢をずっと登っていくと滝に出る。この滝の上は熊の巣だから絶対に行っちゃいけないよ。」
とふと真顔になって注意してくれた。
 ひとしきり釣りの話をした後、「そうそう」と言ってポケットから写真のフィルムケースを取り出した。ふたを開けると色とりどりの毛針が所狭しとぎっしり詰まっていた。
「この間東京から来たお客さんが置いていったのだけれど、結構釣れるからよければ使ってみるといいよ。」
と言ってフィルムケースごと貸してくれた。手に取って眺めてみると小さな針に鳥の羽やら色のついた糸やらが巻き付けてあった。
「道糸を2メートルくらいにしてその先に毛針を結べばいい。毛針には時々油を塗ると沈まない。」
と小さな容器に入った油を手の平に絞り出して実際に毛針に塗ってみせてくれた。御主人は水面を流して毛針が見えなくなった時に合わせれば釣れるからと説明してくれたが、それが実際にどういうことなのか、まるで想像もつかなかった。しかし、その時御主人が何気なく貸してくれた毛針がその後の私たちの運命を変えてしまうことになるとは思い及びもしなかった。
途中で何回もお酒を追加して3人ともずいぶん飲んだ。
「じゃあ、あしたはがんばってな。後でまた報告してよ。」
と言って御主人は少しふらついた足取りで部屋を出て行った。私と妻は酔っぱらった頭でどうやらいいところに来たらしいとうれしく思いながら眠りについた。

 次の日の晩、つまり毛針で初めて岩魚を釣りあげた(というより、釣れてしまった)日の晩のことである。余韻がまだ醒めやらず、興奮した気持ちで夕飯を食べていると御主人が部屋にやってきた。今度ははじめから自分用の銚子とコップを持っていた。
「どうだった?」
「いやー、おじさん、ありがとうございました。あの毛針を借りていって本当によかったです。」とその日のことの顛末を詳しく報告した。
「そりゃ、よかった、よかった。」
と一緒になって喜んでくれた。酒を差しつ差されつ、その日の釣りでわからなかったことをあれこれ質問した。
「そんなにわからないことだらけだったら、一度一緒に釣りに行ってやるから。」
御主人は上機嫌でそう言った。
「えー、ほんとですか。」
実はしばらくこの温泉に通ってからわかってきたことだが、御主人は面倒見のいい人で初心者や常連さんが来るとコーチ役とか案内役を自ら買って出て、釣り場に連れて行くようなことがしばしばあるらしい。それがあまり頻繁なので女将さん(つまり奥さん)からいい加減にしなさいと言われているようだった。そう言えば、御主人と一緒に出かけた時の女将さんの顔はなぜか厳しい表情だった。そういうこととはつゆ知らず、この時は二つ返事でお願いしてしまった。翌日は妻と二人で一日中毛針で格闘し、4匹の岩魚を手中にした。翌々日、宿の仕事が一段落した時、御主人が釣り場へ同行してくれた。釣り場に立った御主人はお酒を飲んでいる時とは打って変わってきびきびとしていた。フェルト底の渓流シューズで岩から岩へ身軽に沢を登っていった。私と妻はついていくのがやっとだった。御主人の竿は当時普及してきていたカーボンロッドではなく、無骨なグラスロッドで、2、3メートルほどの道糸の先端に毛針を結ぶのである。油を塗って一振り,二振りして狙った場所に毛針を落とす。間髪をおかず、パシャと水面が割れて岩魚が毛針をくわえこむ、といった具合に次から次へと岩魚が釣れた。昨日、一昨日と同じ場所でやっているのにどこにこんなに魚が隠れていたのかと思うくらい、いろいろなところから岩魚が飛び出した。
 小さな落ち込みが連続するところに来ると二人の生徒を脇に呼び寄せた。
「いいか、エサ釣りというのはこういうポイントにこういうふうにエサを落として・・・」
と今度はエサ釣りの入門コースの講義が始まった。竿の持ち方、糸の張り方、ポイントの流し方、アタリの取り方など文字通り、手取り足取り教えてくれた。エサでも岩魚は次々と釣れ、あっという間に10数匹の岩魚がビクに収まった。確かにこのペースで一日やれば、100匹くらいわけないだろうと納得した。


 この夏以来、渓流釣りにすっかり魅せられてしまい、妻と二人でこの宿に幾度となく通った。夫婦で釣りに来る人は滅多にいなかったためか、御主人にすぐ覚えられていつの間にか宿の常連のようになった。こんにちは、と玄関で顔を出すと御主人は玄関脇にある調理場の大きな鍋の前から白い前掛けのまま出て来て、「よく来た、よく来た。」と大歓迎をしてくれた。お客さんの少ない時は食事をしている私たちのところに自分用の銚子とコップを持って、必ず顔を出してくれた。私たちもおじさん、おじさんと呼んでは喜んでお酒を一緒に飲んだ。最初の頃は釣りの話ばかりだったが、そのうちいろいろな話を聞かせてくれるようになった。
 この宿は湯の沢温泉とも杣(そま)温泉とも呼ばれている。杣という字は南部の落人、相馬氏が転じたものといい、現在の御主人の名字でもある。御主人は旅館業をやる前は東京でサラリーマンをやっていたという。地元の高校を卒業後、上京し一流企業に就職した。営業担当になったときは結構いい成績をあげていたんだとその頃の思い出をよく聞かせてくれた。何年かのサラリーマン生活の後、地元にUターンして縁あって旅館業を始めた。毎日、すし詰めの通勤電車に揺られる会社勤めの生活から旅館の若主人へ、ビルの建ち並ぶ大都会から山あいの一軒宿へと人生の大きな転換だが、御主人にも何か考えるところがあったのだと思う。旅館の毎日は春の山菜採り、秋の茸採りなどお膳を飾るものの仕入れや調理、あるいはお客さんの送迎などで多忙である。移り行く四季と歩調を合わせるような生活である。山の好きな御主人はよく釣りや狩りに行ったようだ。大物を釣り上げたときの話に身振り手振りで思わず熱が入る。自ら釣った57.1cm、3.5kgという大岩魚の魚拓が客間に飾ってあるが、昔はこのクラスがよく釣れたと言う。冬に泊まると自分で撃ったウサギの肉を夕食にごちそうになったりした。
 御主人は一見とっつきにくそうに見えるのだが、いったん馴染みになってしまうと素朴で人のいいところをもろに出してしまう。自分のとっておきの釣り場まで皆教えてしまう御主人のキャラクターに引かれていつの間にかこの宿の常連になってしまった人も多いようだ。

 宿のすぐ前に沢が流れていて、ここから水を取って生け簀で鯉を飼っている。御主人がさばいて、洗い、甘煮などの鯉料理となって夕食のお膳に乗る。この温泉に通いつめてしばらくしてからのこと、解禁間もない、山には雪が分厚く積もっていた頃だった。ストーブがいくつも焚かれた大広間には夕食が部屋ごとのテーブルに用意されていた。お客さんが三々五々広間に集まり、食事をはじめてしばらくした頃、御主人が大きな鍋を重そうにかかえてきて、ストーブの上にどーんと置いていった。「自由に食べてください。」とだけ言って部屋を出て行った。何だろうと思っていると他のお客さんは鍋の横に積んである汁碗にてんでによそっている。妻が持ってきましょうかと言うので味見してみることにした。味噌味で中には魚の骨とか肉や皮などがごちゃごちゃと入っている。一口すすってみると実にこくがあっておいしい。骨や皮は鯉料理に使われた残りで、じっくり時間をかけて煮込んだものらしい。いわゆる、鯉こくという料理だった。雪のちらつく中、釣りをしてすっかり冷えきった体を温泉で暖めたあと、ビールを空けて最後に鯉こくで腹の底から暖め直す。すっかり病みつきになった。以来、宿に着くとすぐ、「おじさん、きょうも鯉こくお願いします。」と頼むようになってしまった。


 今年の3月、私は仕事の関係で北海道から東京に転居した。家財道具は引っ越し業者にお願いして、私たちは車で東京に向かった。途中、早春の温泉に寄ってみた。まだシーズンオフでお客さんは少なかった。湯に入ったり、布団にごろごろしたりを一日中繰り返して2泊3日をすごした。釣りもせず、何の目的もなく遊びに来たのがよかったのだろう、体も心もすっかり休まった。夕刻、大広間で食事となった。いつものように、途中で御主人が銚子とコップを持ってやってきた。私の近況を報告したり最近の釣り場の状況を聞かせてもらったりしたあと、宿の前を流れる小又川にできるダムの話になった。小又川はすでに上流部で森吉ダムがあるのだが、その下流にもう一つ大規模なダムを造る計画が進行中である。小又川沿いの村々はダム建設でそのほとんどが沈んでしまうことになっており、村の人たちは既に移転先も決まり、少しずつ転居しているようだった。小又川沿いの集落で一番奥にあるこの温泉だけは湖底に沈まず、一軒残ることになった。しかし、村の人たちが一人もいなくなった状態では、シーズンオフの冬場などはお客さんも少なく商売にならないというので、冬期間だけは宿を閉じることにしたという。家族はダムの下流の町に引っ越し、そこでラーメン屋を兼業して、シーズン中はそこから温泉に通うことにしたということだった。そういう話をする御主人はいつもの陽気さが影を潜めて心なしか寂しそうに見えた。

 東京の新しい職場で日がたつのも忘れて働いていたある日、小さな発砲スチロールに入ったクール宅急便が届いた。さて誰かしらと思って送り主を見てみると懐かしい温泉の住所が書いてあった。御主人が今年釣った岩魚でも入っているのかしらと思って、発砲スチロールの箱を開けてみるとビニール袋に薄茶色をしたものが凍って入っている。なんと冷凍された鯉こくだった。今年の早春に杣温泉に泊まったときのことを思い出した。この時も食事の最後に期待に違わず、鯉こくをごちそうになった。御主人と酒を酌み交わしながら
「東京に引っ越すとしばらくこの鯉こくともお別れだなあ。」
と言うと、御主人は
「それじゃ、今度冷凍して送ってやるから。こういう味はちょっと食えないよ。」
と冗談混じりで言った。私は東京での忙しい毎日にすっかり忘れてしまっていたが、御主人は覚えてくれていたらしい。鯉こくの届いた晩、布団に入ってから温泉のことを思い出していた。あの生け簀で飼われていた鯉はどうなるのだろう。冬の間、えさなしで過ごす訳にもいかないだろう。あの屋敷は除雪もされず雪の中に埋もれてしまうのだろうか。しんしんと静まり返った雪景色の中に宿の前を流れる沢の音だけが響いているのを想像して私はうら寂しい気持ちになった。おじさんから借りた毛針を振った西の又沢はどうなってしまうのだろう。町でおじさんが始めるラーメン屋はうまくいくだろうか。ダム建設によって人々の運命が大きく変わっていくことに何か割り切れないものを感じた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?