加勢
人は理想を追いかける生き物だ。だから争う。
子どものケンカから国同士の睨み合いまで、争いの規模や形態は様々だ。自分を白、相手を黒にして、理想を叶えようと争い始める。うまくいけば、勝者と敗者に分けることなく、両者が喜ぶ結論に落ち着ける。しかし、出来事や時間を経て恨みが積み重ってしまうと、それは両者から「ごめんなさい」を奪い去ってしまう。人は激情に駆られ、一方が降参するか、もしくは一方が他方の喉元を噛み切るまで、争いは続けられる。
争いが激化した時、第三者はどちらかへの加勢を迫られる。加わっても加わらなくても自由だけれど、争いが自分の生活にも密に関係している場合、第三者は選択を余儀なくされる。
この時、片側のことしか知らずに加勢した人は、攻撃を始める。加勢した側の理想を信じて、敵を追い詰めようと努力する。第三者の言動以上に、彼らが加勢に入ったという事実そのものが、時には敵の息の根を止めることに繋がる。
一方で、両側を知り加勢を選択した人には、思慮が生まれる。理想や正論を掲げながら、何とかして恨みの連鎖を断ち切れないかと考える。その思いは時に、敗者にとっての逃げ道を築くことができる。
あの頃、僕は攻撃しか知らなかった。いつか正論が認められて、理想が現実になることを盲信していた。強い人の理想の世界では、みんなが幸せになれるはずだから、それは正しいんだと思っていた。世界は正しいことが好きで、人間も正しいほうへ動いていくんだと思っていた。だから僕には思慮がなかった。正しさだけで生きられるほど、人は簡単じゃないと知らなった。結局、僕は逃げ場になってあげることができなかった。
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今日は5月5日、こどもの日。よく晴れて、空が穏やかに微笑んでいた。
こんな日が多い。
顔のない沼からにょきっと伸び出る、あの右手の存在に気付くのは。