Mr.いくじなし
泣いた笑った、ジ~ンときた、ハッとした、そんな文章がまた読み返せるようにコトコトしておく場所です。
みなさんこんばんは。僕はしがない学生です。いつもならスヤスヤ眠っている時間になぜ初投稿をかましているのか、それはある友人にこき下ろされたからです。やけくそです。何かを言葉にして、今日という日に僕が感じたことを残しておいてやろうという反乱です。 勢いはあっても何を書いていいのかさっぱりわかんない状態なので、とりあえず家にあったジムビームの力を借りて、指を動かそうと思います。 今僕が直面しているのは、「なぜ僕はこんな真面目なんだろう」問題です。 周囲の人にまじめレッテルをペ
まだ見ないでおく。十分走る。走った後で見る。くすんだ空がいる。よりくすむ。ただの空。 まだ嗅がないでおく。十分息を止める。止めた後で嗅ぐ。くもった空気がある。よりくもる。ただの空気。 まだ食べないでおく。十分口を閉じる。閉じた後で食べる。しおれた米がある。よりしおれる。ただの米。 まだ聞かないでおく。十分耳を塞ぐ。塞いだ後で聞く。かすかな音がある。よりかすかになる。ただの音。 まだ触れないでおく。十分待つ。待った後で触れる。絶対にある。起こる。回る。暴れる。ただの顔。
人は理想を追いかける生き物だ。だから争う。 子どものケンカから国同士の睨み合いまで、争いの規模や形態は様々だ。自分を白、相手を黒にして、理想を叶えようと争い始める。うまくいけば、勝者と敗者に分けることなく、両者が喜ぶ結論に落ち着ける。しかし、出来事や時間を経て恨みが積み重ってしまうと、それは両者から「ごめんなさい」を奪い去ってしまう。人は激情に駆られ、一方が降参するか、もしくは一方が他方の喉元を噛み切るまで、争いは続けられる。 争いが激化した時、第三者はどちらかへの加勢を
しっくりこない。 どこかに絶対ある。自分の体のどこかで、ずっとゆらゆら漂っているはず。 直感は希望だから、記憶の海へもぐったところ。 さっきまであんなにキラキラ輝いていたのに、いつの間にか光が消えた。 生き物の気配はもうなくて、時々下から水泡が浮かび上がってくる。 ぶくぶく、ぷくぷく。 ヒントかもしれないって思って、目を凝らして水泡を掴んでみる。 触れたはずで、音も匂いもしたはずで、だけど何だか頼りない。 これじゃない。 正解が僕を呼んでくれそうな気配が、し
自分はなんてばかなんだろうと思うことがよくある。 想像力がない時。 覚えても、使おうと思えていない時。 冷めた目をする時。 情報に主導権を握られる時。 結局努力していない時。 時間の使い方を後悔している時。 出来事を短い時間軸の中でしか捉えられない時。 褒められて調子に乗っていたと気付いた時。 自分の無知や間違いがばれるのを怖れる時。 そう怖れさせる変なプライドを発見した時。 自分の得意だけを心の中によぎらせる時。 こうやって贖罪してみれば今日のところ
僕には好きな漫画がいくつかあるけれど、やっぱり週刊少年ジャンプの割合は群を抜いている。 ワンピース、ナルト、ドラゴンボール、スラムダンク、銀魂、ブリーチ、トリコ、黒子のバスケ… どの作品にも、自分の好きなキャラクターや、必殺技や、エピソードっていうものがある。漫画やアニメを夢中で追いかけたり、友達と考察を語りあったりすることに、10代を生きる中でいったいどれくらいの時間を注ぎこんだんだろう。 ジャンプの主人公たちは、ストーリーの中で数多くの壁にぶつかる。傷ついたり何かを
これは価値観の押し売り。この文章のエッセンスは丸パクリ。 小説家、平野啓一郎さんの「分人」という考え方に救われた。彼の著書「私とは何か」で述べられている自己の捉え方。 絶対的な「個人」なんて存在しないというもの。自己は、外界との相互作用によって生じる複数の「分人」によって成り立つというもの。 そもそも個人という考え方は、individualという単語の成り立ちを考えると分かりやすい。不可能を表す「in」に、分割可能なものを表す「dividual」。合わされば、「それ以上
「大人になったら」 いまだに、時たま自分の口から飛び出すこの言葉に驚く。 自分は子供だとか大人だとか、そんなこと意識的には考えもしないっていうのに、無意識は残酷に自分への評価を露呈させる。 大人って何なんだよ。自分で稼ぐようになったら大人なのか?社会に労働力を提供してないからおれはまだ子供なのか?バイトと奨学金で生活してるおれは大人じゃないのか?じゃあスマホに気を取られながら道をふらつくスーツ姿のおっさんよりおれは幼いのか? そんなチープな定義で大人を考えようとする自
どんな会社に入って頑張るかは、今後の人生の転換期ともいえる。 そんな転換期に向けて、人生で初めての面接を経験した。 高校・大学・大学院での自分の経験や、これまで感じたこと考えたことを、2人の面接官に向けて力の限り、加工なしで生のままを伝えた。聞かれたことに対して、頭をフル回転させて、答えた。前のめりになって、汗だくになって、放出した。 面接途中と終了間際、1人の面接官の方がこんな風に言ってくれた。 「あなた、あんまり敵はいないでしょ?なんていうか…良い人っていうのが伝
人を好きになるというのは、トンネルを通るようなものだ。 トンネルの入り口からは、向こうに何が待っているかはわからない。 でも直感的に、トンネルの向こうにあるきれいな景色を予感する。 もしあなたが入り口で足踏みしているだけなら、その景色には絶対に辿り着けない。 だから、その予感が信じるに足りるなら、勇気を持ってトンネルに足を踏み入れてみる、それだけの価値はあるんじゃないかな。 その後だけだよ、向こうに待っている本当の景色が見えるのなんて。 「自分はこの人のこと、本当
小説中の人物像や世界観に対する色のイメージは不思議と頭に残る。そんな風に読者の脳内で生き永らえる文章が書きたい、いずれ。 という崇高な思いも抱きつつ、やっぱ自分の書いた文章読み返すと「おぉ〜これなかなかいいな〜」となってしまうナルシストだから、「将来の読者=自分」のために書こう
今日は人間らしい1日だった。 恋叶わなかった人のそれと言ってよい。 ・朝11時 隣の部屋の留学生が帰国する。彼とは10ヶ月ほどお隣さんだった。バルコニーで一緒に飲んだ夏夜や、運動場で懸垂に励んだ日々が懐かしい。僕は最後の挨拶として、彼にはがきを手渡した。簡単なメッセージが書いてある。彼は一瞥すると、ありがとうと言って、それをリュックの外ポケットにしまった。握手を交わすと僕は若干涙目になっていたが、湿っぽさに執着しないのが彼のいいところだ。エレベーターの扉が閉まるのに合わ
寝坊して、眠い目を擦りながらいつものようにつけたラジオから、壊れかけのradioが流れてくる。 自分はまだ少年だったんだな、そう知った僕はまた目を擦る。 なんだか大人になれた気がするよ、ありがとう。
閉店間際のスーパーでかかってるBGMが異様にあったかく感じられた時に、あぁ自分なりに忙しい毎日なんだなって気づいた 人と忙しさ比べすることに意味なんてないよね Mrs.GREEN APPLE - Folktale
ついさっき投稿した記事で、自分の好きなことなんやねん問題を解決したことについて書いた。その答えは 「僕は、理系の領域において、物事を考えることが好きです。」・・・(*) であった。実はこの答え自体はずっと前に判明していのだけれど、一部モヤモヤが残っていたのでそれについて書けずにいた。それは、 「じゃあ理系って何?」 という問題。もっと言えば、(*)の中の「理系の領域において、物事」の部分をズバッと言い表す言葉は何なのかということ。 僕の場合、時間を忘れて没頭する
就活してると、「これから何をやりたいんですか?」って聞かれることが多い。逆に、自分も「なんでこの仕事、この会社を選んだんですか?」って質問することも多い。そんな時付随してくるのが、”自分の好きなこと”だ。 「私は昔から人と関わり合うことが好きで・・・」 「僕はずっと海外の文化が好きで・・・」 こんな感じの「それ、逆に嫌いな人なんていなくない?」っていう回答が乱立し若干の憤りを覚える中、僕も僕の好きなこととやらを自問自答せざるを得なかった。「う~ん、パッと出てこない、自分