大きい人と書いて大人と読む

「大人になったら」

いまだに、時たま自分の口から飛び出すこの言葉に驚く。

自分は子供だとか大人だとか、そんなこと意識的には考えもしないっていうのに、無意識は残酷に自分への評価を露呈させる。

大人って何なんだよ。自分で稼ぐようになったら大人なのか?社会に労働力を提供してないからおれはまだ子供なのか?バイトと奨学金で生活してるおれは大人じゃないのか?じゃあスマホに気を取られながら道をふらつくスーツ姿のおっさんよりおれは幼いのか?

そんなチープな定義で大人を考えようとする自分に棘を刺したくなる。

秋山黄色の曲が響く。おれは大人と子供の間にいるんだ。生まれた瞬間からおれはずっと子どもなんだ。

大人になれる飲み物があれば飲みたい。

子どもになれる飲み物はきっと甘くて濁ってる。


世の中に大人は溢れているはずだ。ただ何が大きいのかわからない。何を持ち合わせて自分を大人と呼んでいるのかわからない。それが分かればおれは大人になれるんだろうか。

「大人になろうよ。」
「大人にならないといけないよ。」
「大人になれよ。」

耳垢がどんなに溜まってたって、その声は明確に鼓膜を震わせる。大人が何かも知らないくせに、考えたこともないくせに、まるで大人が子どもの上位互換であるかのように、偉そうに耳を貫通してくる。

生きてる年数に比例して大きくなるものなんて知れてる。それを根拠にして大人でいるかのような幻想に安堵していることほど子どもなことはない。目に見えることなんて背丈が伸びるくらいだ。そう知っているはずなのに、子どもでいることは馬鹿なことだと信じてるから、大人という根拠を与えようとする。

ダサい大人になんてなりたくない。だけど子どものままいるなんて真っ平御免だ。

大人と子どもの間だよ。誰しも、いつまでも。