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あなたの正直さ、本物ですか?

アルコール依存症のななにいにです。
「嘘をつかないこと」これを人生のモットーにしている人って結構いると思います。自分の性格は「素直」で「正直」なことです、と言っている人たちに今までたくさん出会いました。

本当ですか?

誰に対して正直何ですか?本当にどんな時にでも正直になれるんですか?
私は自信がありません。
私の不正直の体験を元に、正直さはなにか考えて生きたいと思います。

①他人に対しての不正直
私は他人に対して本当に正直ではありませんでした。
いつも目をキラキラさせて、大きくてハキハキとした返事をして、イジられキャラを演じていましたが、実際それは私の「不正直さ」をカモフラージュするのに大いに役立ちました。何となく「嘘をつかなそう」な雰囲気で信用してもらい、言動の不一致が生じたときには「嘘」ではなく「過失」として処理されることが多くありました。
私の周囲には私自身がめちゃくちゃ嘘つきだと思っている人は少ないと思います。

酒を飲むために死ぬほど嘘をつきました。巷で使われる親戚が死んだことにする嘘はつきませんでしたが、「接待」とか「経費の建て替え」を理由に夜な夜な一人で飲みに行き、多額の現金を使用して酒を飲んでいました。「経費処理をミスって金が返ってこないわ」と嫁さんに何度嘘をついたか分かりません。
連続飲酒の最後には嘘をついて酒を飲むことについて罪悪感もなくなっていました。

酒を飲むために嫁さんに平気で嘘をつき続けると、仕事でも平気で嘘をつくようになりました。嘘に嘘を塗り固めたり、頭が常に酔っぱらっていて何が本当で何が嘘なのか自分でもわからなくなっていました。それでも、先述のようなキャラを作っていたため私を「信用ならない人間」と評価する人はいませんでした。無意識的にキャラ作りから嘘をついていました。

②自分自身に嘘をつく
私は約30年生きてきましたが、義務教育だけでなく、家庭教育、部活動、社内倫理教育をたくさん受けてきて、自分の奥深くにある「良心」を育ててもらう機会は多くありました。
しかし、酒や薬などの物質的な依存物質を使ったり、他人に嘘をつきまくってきたことによって、良心が性格上の欠点によって覆い隠されてしまうようになりました。
気が付かないうちに私は自分自身にも嘘をつくようになっていました。

自分に不正直な人に共通するのは、抑圧された成育歴をもっており、「言いたいことを言えない」「自分の意見は持っているのに周りの意見に流されてしまう」「手を挙げて発言することができない」「行動することが怖い」といったものです。
私の不正直さも似たようなものです。私を含めたアルコール依存症の人間の多くは、自分に対して危機的な不正直さを持っています。
それは「この一杯に手を出したらダメなのに飲んでしまう」という強迫観念です。
「飲んではいけないのに飲んでしまう」これは自分の意志とは反対の行動を取ってしまう、自分に対しての不正直さです。
アルコール依存症でない人でも「食べちゃいけないのに食べちゃう」とか「不倫しちゃいけないのにしちゃう」とかいろいろあると思います。
たしかに前頭葉の働きが鈍くてこのような行動に出てしまうことも多いと思いますが、これは魂が腐っている結果ともいえるのです。

私はこの性格上の欠点を克服しなければアルコール依存症からの回復は不可能であると指導されています。
自分自身の戦いです。他人に嘘をつかないことよりも難易度が高いです。

そこで私は「ゴミ拾い」に挑戦することにしました。当然公園でゴミを拾ったりもするのですが、常にビニール袋を持ち歩いています。目立つごみだけですが、どこでも拾うというものです。
それによって「ゴミが落ちている、拾った方がいいけど、人が多くて何となく拾いにくいから拾わない」という自分に対しての不正直さを克服することができるようになります。
自分の回復のために是が非でも拾います。
ただ、やれる範囲でやっています。本当はすべてのごみを拾いたいのですが、駅のエコボックスで捨てて帰りたいので、主にペットボトルと空き缶が中心です。
これによって私は自分の不正直さと戦っています。

自分に不正直な感情は猛毒です。これを克服しないと、本当は自分のことを愛しているのに(自己愛)、自分のことを嫌いになって攻撃する「自己れんびん」という行動に出てしまいます。自分の心の最後の守護神は自分なのに、自分が自分自身を攻撃してしまうと魂に壊滅的な打撃を与えてしまいます。
それを防ぐためにも常日頃から、他人に嘘をつかないことは当然なのですが、自分にも嘘をつかない訓練が必要となります。

缶とペットボトルのごみ拾いをすることは自分に正直になり魂を磨きます。
よかったら試してみてください。

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