たりない…
「明日のたりないふたり」というライブを見た。ライブの中盤辺り、二人が自分自身と向き合うシーンで、「ここは見ているファンの人たちは泣いてるだろう。ここで泣いたほうが刺さった感が出るだろうし、寄り添ってる感も出るだろう。」そう思うと、誰からも何も言われていないし誰にも見られていないのに、強迫観念に駆られ頑張って涙を流した。ライブのラスト、演者の二人も涙を目に浮かべながら漫才をしていた。ここでも同じような感情で、涙を誘発するために必死に鼻をすすり、目をこすって、無事僕の目を潤ませることに成功した。
「明日のたりないふたり」のライブ後、ツイッターには多くの感想が投稿された。「二人を見て勇気をもらった。」「たりないまま前に進むしかないと感じた。」「たりないって最高!」など多くの感想が投稿された。
こうやって、誰かに聞かせる必要のない自分の感想を世界に発信できる人は本当に"たりない"のだろうか。血の滲む努力をし続けてきた二人が出した境地である「たりなくてよかった。」という言葉の重みを自分自身に当てはめられるほどの努力をしているのだろうか。ここで"たりない"って言っている人たちの中には、結婚している人、恋人がいる人、今はいなくても過去にはいたことがある人がいるわけで、恋人とラブラブでいつでもセックスできる環境にいる人、過去に経験があって童貞なんてとっくに捨ててる人もたくさんいるわけで、きちんと大学を卒業して就職した人や、夢を叶えた人、夢を追っている人も数え切れないほどいるだろう。そんな、僕が叶えていないことを既に叶えた人たちでも本当に"たりない"のだろうか。なんてことを考えてしまう。
だからといって、ツイッターに感想すら呟けない僕が真の"たりない"かと言われるとそれも違う。僕は"たりない"のではなく、ただの努力不足だ。生まれを育ちも苦労せず、行きたい学校やりたい習い事、全部叶えてもらった。私立の高校で学費に加えさらに寮費と生活費、私立大学で学費、家賃、光熱費、生活費、加えて半年休学し一留、約一年引きこもった間の家賃、光熱費、生活費。何不自由なく豊かで幸せな暮らしが出来ている僕が、"たりない"なんて烏滸がましいにもほどがある。そんなこと口が裂けても言えない。
僕は、自分に厳しくいたいという自己満足と、自分を甘やかしたいという欲のもと生きている。どうしようもない人間ってどうやって生きていけばいいのだろうか。
どうせ、誰かに甘えながら自分を律しているフリをしながら生きていくのだろう。今の僕はそう思う。