ポッドキャスト&YouTubeの長尺化とその先の未来

中田敦彦のサブチャンネルで、直近の政治においてSNSの影響力がテレビを追い抜いたという出来事を2015年頃からの時間軸の中で分析していた。

この中で彼が言及していたのが「動画の長尺化」という事象である。

直近のYouTuber は長尺化している。分かりやすい例で言えば、ヒカルであり、最近の動画は3 時間にも及ぶようになってきている。

無論政治を取り扱うリハックのようなチャンネルにおいても動画の長さは2時間ほどにも及ぶようになっている。

中田敦彦がこのような現象の背景として説明していたのは、「中高年世代のような『大人』世代のYouTube視聴の増加」に伴う「ながら見/ながら聞き」の広まりである。であればこれは不可逆の流れであると考えられる。

「ポッドキャストの長尺化」という、この現象は下記の記事にある通り、既に米国では大統領選挙に影響を与えている。

ジョー・ローガンやエイディン・ロスなどのマノスフィア的な人気配信者によるポッドキャストのきわめて重要な共通点は、一回のライブストリーミングが2~4時間に及ぶことだ。

さらに、これらのポッドキャストを魅力的にしているのは、時間に縛られず台本なしで長時間対話することで、出演者の人間性がよくわかり親しみが高まることだ。

長尺化のトレンドが進行していくことは間違いないだろう。

さて、では長尺化の次に、インターネットで起こることは何か?

長尺化のトレンドを以前から予測していた識者の議論が参考になるだろう。東浩紀の議論である。

東浩紀は昨年の対談の時点でポッドキャストの長尺化について言及していた。彼はこの現象を既にニコ生の時代に可能性として注目しております、このような現象のある種の先取りとして10年ほど前から「長い時間、ダラダラ喋る」というコンテンツを作るためにゲンロンに取り組んでいることについて言及している。

この東浩紀と成田悠輔の対談の中で、コンテンツの未来として同時に語られているのは「AIによる翻訳ツールの発達が言論空間に大変化をもたらす」ということだ。

今はまだ日本のユーチューブ圏と米国のポッドキャスト圏は交わらない。米国では誰もが知らずに生きられないであろうジョー・ローガンの知名度は日本では英語学習者を除いてあまり高くないかもしれない。

しかし翻訳ツールがでてくれば話は、変わってくる。

まず、もう少し自動翻訳技術・文字起こし技術が進化すれば、まず切り抜き動画から、そしてやがてはフル尺での視聴体験が国境と言語圏を超えて飛び交うようになる。

ジョー・ローガンのポッドキャストを、日本人がAIによる自動生成の翻訳で垂れ流しながら「ながら聞き」する時代だ。

ここまではほぼ確実に起こる未来だろう。

そしてここからは私の貧弱で根拠の乏しい推測だが、その先にあるインターネット空間は、国籍の対立だけでなく、いやむしろ「男女間・ジェンダー観の対立」「世代観の対立」になってくるのではないか。

8月にはXで日本と韓国の女性のある種の連帯をミーム化していくような流れが発生したが似たような事例が今後多発していくようなイメージもある。

文化的な差異はSNSで縮小することができても身体的な差異は縮小することが難しい。

言語の壁は翻訳ツールがあれば越えられるので、文化的な慣習に対する相互理解も言語の壁が打ち破られればある程度進んでいくと思う。

一方でAIが発達しても男は女の身体感覚を実感として理解できないし、若者は高齢者の身体感覚を実感として理解できない。これは文化ではなく身体的な差異だからだ。

故に「男女」と「世代(老化)」という身体の議論での対立がより先鋭化していくのではないかと思う。

いいなと思ったら応援しよう!