ルールメイキングのヨーロッパ? 進撃の巨人と漫画の権威
ルールメイキングがヨーロッパは得意だという話はよくある。直近の気候変動問題も、欧州主導のルールメイキングである。
ノーベル賞というのはヨーロッパが作る権威だ。
核兵器の廃絶がノーベル平和賞を取った。良いニュースかもしれないけど、ひねくれ者の私は、「なんでヨーロッパの人たちに何が価値で何が価値が決められて、それを日本人はありがたがっちゃうわけ? 別に彼らになんと言われようと、大事なことは彼らが決めるわけじゃない。」と思ってしまう。
村上春樹がノーベル賞を受賞しないこともそう。なんでそんなことを「国際的に評価されていない」という風に考えるんだろう。ノーベル賞を誰が審査しているのかは知らないけど、審査員は受賞者よりすごいの? じゃあノーベル賞受賞者より実はノーベル賞審査員がすごいわけ?
アインシュタインもノーベル賞を受賞したわけだけど、その審査員はアインシュタインよりすごかったのだろうか?
お笑いのことをそんなに詳しくないからかもしれないが、別に事件が起きる前から私なんかは松本人志よりマジカルラブリーの方が面白いような気もする人間だ。それなのに「選ぶ側」と「選ばれる側」が決まるのは、不思議なことだ。
「選ぶ側」に回るために必要なのは、選ばれる側のレースで勝つことかもしれない。例えば、M12007年の優勝者であるサンドイッチマンの富澤たけしが今は審査員をやっているように。でも、別に選ばれる側のレースで勝ってもいないのに、審査員の席に座っている人というのは実際の所色々なところにいるのだろう。好きな作家だからここで例に出すのも気が引けるが、山田詠美は芥川賞の選考委員だけど、自身は芥川賞を取れていない。
いいたいのは「選ぶ側」は実は非自明だということだ。
もう1年以上も前のニュースだけど、アングレーム国際漫画祭という賞がフランスにあり、それが進撃の巨人の作家に賞を与えている。
それをもって「世界的大作家」になったというらしい。
でも、漫画って普通に日本の方がフランスよりすごくねえか? いや、優劣とか知らんけど、フランスよりも日本の漫画の方が市場も大きいし世界的にも読まれているはずだ。芸術性みたいなのは全体的な傾向としてはフランスの漫画の方があるのかもしれないけど、絶対量と質で言ったら日本の漫画の「芸術性」なんていくらでも発掘できるくらいの豊かな土壌が日本にもあるのは間違いないわけで。むしろ、日本がフランスの漫画に賞を与えて、それが「国際的な評価」ってことになるんじゃないの? とか思った。
まあありふれた話だけどヨーロッパをありがたすぎだろ。
麻生さんが始めてた日本国際漫画賞ってのはそういうことをやりたかったのかな。