誰も読まない文章を書いていてもいいんだよ

いい文章を書きたいという気持ちを、バズる文章を書きたいにすり替えて、タイトルと一行目に気をつけて、pv数と「スキ」とRTで「いい文章」を決めている、資本主義ど真ん中のどストレートな文章観と、距離を置く。

これはもうとっくに締め切りが終了したコンテストについての怒り。審査員は、自身もnoteで創作コンテストの受賞経験があるnoterらしい。申し訳ないけど私は彼女の開催したコンテストも書いている文章も、個人的に、とても好きじゃなかった。

審査員の方の文章は、マーケティングだ。クリックをさせて、読ませることがとてもうまい。そしてそのテクニックをも彼女自身が言葉にしてくれている。

無論読み手は相対化して考えればいい。ここにあるのは、上場企業としてのnoteの収益化を実現させるという目的に合致した、課金力の高い文章を書くテクニックである。つまり求められるのは「幅広いユーザー」に対して「課金をさせる程度」の何らかのインパクトを与えること。つまり、そのことから逆算した文章のテクニックになることは、言うまでもない。マネタイズに最適化された文章だ。

でもそれだけが「書くこと」ではない。幅広い感性に適度に刺さるような形で評価されることを目指したら、本当の自分が分からなくなったまま、自分を報いてくれない「書く」という行為をきっと嫌いになってしまう人は少なくない。特に「書く」ことの動機自体に、コンテストを通じて資本主義的な文脈をインストールする作業は、アジールとして書くことを選ぶ人たちにとっては根本的な自己矛盾ではないだろうか。書くということはマネタイズと離れて存在していても良い。だから他のテーマならまだしも「なぜ、書くのか」というテーマでは、文章をそんなところに押し込めてほしくない。すごく、グロテスクだと思う。

私は、「書く」ことを決して嫌いになるようには、したくない。

バズるためには戦略が必要だ。もし、スキを伸ばしたいなら、もっと投稿頻度を少なくしながら、書く内容の方向性をまとめるべきだ。今の自分は、書いているジャンルがめちゃくちゃだ。社会問題について書いたと思えば映画の感想を書き、ひとりごとのようなものも書く。読者層は重なりにくいのだからスキを伸ばしたいならジャンルを固定化してブランディングをした方が良い。第一もっと推敲して、書き出しとタイトルに気を使い、カバー画像を挿入すべきだ。
文章はインパクトのあるセリフから書き始めるのが良いし行間だって適度にあけながら書いたら良い。文章はそれなりに起承転結があり、その過程で語り手と共に「得る」ものがある。メッセージはちょっと盛り上げて、断言しちゃう方が伝わることもある。読みやすくて、リズムが良くて、たくさんの人に届く、そんな文章。

でも私は、読みにくくて、曖昧で、冒頭は全然キャッチーじゃなくて、でもその人にしか書けない、そんな文章を読みたいし書きたい。

私にとって文章を書くということは世界に対して、自分の方から意味を、突きつけることである。私は文章を書くことで、自分が何を考えているか初めて分かる。文章を書いていると私が何に良いと思って、何に腹を立てるのか、少しずつ分かるような気がする。「こうするべき」ではなくて「こうしたい」が、「これが優れている」ではなくて「これが好き」が、自分の中から少しずつ見つかってくるのだ。

だから私はいつも自分のために文章を書く。誰か、読んでくれたら嬉しいけど、でも、誰も読まなくても別にいい。

おまけ 「べき」のワタシ こいつに、苦しめられている

とはいえnoteというプラットフォームが上場企業であり、その売上が有料noteの販売手数料から成り立つことを考えると、プラットフォームに貢献するnoterはすなわち課金力のある文章を書くユーザーである。その点において私の文章に対するスタンスはフリーライダーであり、このコモンズのようにも見えてしまうプラットフォームにおける単純なコストである。

であれば私にはやはりプラットフォームに貢献する責任を別の形で果たさなくてはいけない。自分の欲望とそれを一致させる形で実現するのであればそれは他者の作品に対する積極的な反応だと思われる。他人の創作を応援することにおいて、私の存在はフリーライダーであることをいくらか免れることができるだろう。

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