リハックの変質と成田悠輔の有無
玉木雄一郎がいちじくも先日の石丸伸二との対談で言及した通り、石丸現象・国民民主党の躍進・さいとう元彦の再選においてYouTubeメディアであるrehacqの影響力を指摘しよう。政治家に対する120分ほどのインタビュー動画がそれ自体で100万回再生をする。無論視聴率に換算すると1%もないという見方もあるが、視聴者のエンゲージメントは極めて高く、さらにそこから各動画が切り抜かれる形で、政治家に対する印象形成が成されていく訳で、この影響力を軽視してはいけない。
リハックの特徴は政治家が自分の言葉で語りたいことを語ることにある。例えばNHKの日曜討論のような番組と比較した時に、長尺という特徴もあれば、そこから導出される形で論点設定の緩さということもある。切り抜きのリスクはあれど、基本的には、一定の戦略をもって臨めば自己アピールがしやすいはずだ。
それはマスメディアが担保しているのとは別の形の公平性である。しかし完璧な公平性は存在しない。長尺・一次資料であるが故に警鐘を鳴らさなければならない部分もあるだろう。「政治家は平気でウソをつく」。
このリハックの現象は既に成田悠輔が予言していたのではないかと思う。7/10の石丸伸二との対談のYouTube番組の中で、彼が言及した「リハックの劣化」だ。
元々リハックの前身である日経テレ東大学rehackは、成田悠輔とひろゆきがパーソナリティとして始まった番組である。「悪魔になろう。世間から憎悪され抹殺されるような存在に」というのは成田悠輔が五月祭で行った講演のタイトルであるが、彼自身、この番組の持つある種の破壊的な作用を好んでいたように見える。当時のリハックは、誤解を恐れずに言うと、識者を呼んで論破をしかけ、価値観を揺さぶる番組だった側面があったと思う。それもひろゆき氏が分かりやすいいわゆるひろゆき論法で論破を仕掛けながら、穏やかな語り口でより本質的で根源的で遠慮のなさすぎる批判をする、はっきり言ってかなり「ヤバい」番組だったと思う。成田悠輔の追及にひろゆきが「ドン引き」していた場面が何度もあったのが印象的だった。
リハックの変容は成田悠輔氏がパーソナリティとして登場しなくなったことで、権力批判(それはしばしば高齢者批判だったが)から、ポピュリスト増幅装置に転換したと言えなくもないのではないか。
同じYouTubeという媒体においても、成田悠輔の有無で番組の本質が変化したように、現在は十把一絡げで語られることのある、インターネット発の論客はそれぞれにタイプも考え方も思想も異なる。ひろゆきと成田悠輔は本質的に同じタイプではないように見えるし、石丸伸二や玉木雄一郎、さいとう元彦、ホリエモン、東浩紀、西田亮介……どういう名前を並べてもその思想は大きく異なる。ネットメディアがテレビの影響力を凌駕した今、ネットメディアの多様性もここから注目されることになるのではないか。