バズるnoteの書き方と
ここを見ながらバズるnoteの特徴を考えていた。
最初に書いておくと、私はバズっているnoteよりもそうでないnoteが好きだったりする。
このnoteとてもいいな、と思う文章はだいたいいいねも一桁だし、一つもいいねがなかったりすることも多い。逆に、三桁や四桁のいいねがついているnoteを見ると、中にはげんなりした気持ちになることもあったりする。(もちろん、これは傾向の話である。基本的に私は大体のnoteが好きだ。映画や本の感想で、自分と反対の感想でも楽しく読めることがほとんどだ。)
とはいえ、実際自分の書いたnoteでも、好きな文章といいねがつく文章にはあまり相関関係はない。これは不思議なことだと思う。
なぜこうしたギャップが生まれるのか? 私はそのことを考えていた。それで、改めてそもそもどういうnoteがバズるのか、少し考えてみようと思った。
とりあえずの、自分なりの回答としては、バズるnoteはだいたい3つのパターンのどこかに収まっているということだ。
◯ユニークな体験談
◯ニッチなことに対する分析
◯なにかのハウトゥー
ユニークな体験談というのは例えば下記のようなものになる。
ニッチなことに対する分析とは例えばこうだ。
なにかのハウトゥー。これはこういうものだ。
そして、これらの記事は、完全に3つのカテゴリーに分けられるわけではない。ユニークな体験記とニッチな分析はしばしば重なるものであるし、そこからなにかのノウハウを読み取ることも容易いからだ。
さて、このパターンがあることを前提にしてもう少し思考を進めてみる。これらの記事はなぜ読まれるのか? ユーザーの、どういうニーズに応えているのか?
それは物語を読むような体験をすることと、自分の知らなかった観点に対しての知的好奇心を満たすことだと思う。
noteを読むときに求めているのは物語と発見なのではないか。
物語は具体的なものということもできる。つまり抽象的な理論や思索だけではないものである。なので知的好奇心を刺激するようなものであっても、正義とは何か?というような概念に対する分析もあまり好まれないことになるだろう。
逆に、具体的でユニークなエピソードを通じてなにかを読者に発見させられるようなものは、バズりやすいことになる。
例えばこんなnoteがあったらバズりそうだ。「仕事を辞めて日本全国を逆立ちで旅をしていたら、不眠症の治し方が分かってしまった。」とか。逆立ちで旅をするというユニークなエピソードと、逆立ちや不眠症に対するなにかの分析の予感と、治し方というノウハウを詰め込んでみた。言うまでもなく、こんな体験は私はしていないが。
しかし、なんで私は、バズりにくいnoteの方が好きなことがあるんだろう?
これは、私が、平均的な人よりも抽象的な思考の話を聞いたり、概念に対する分析について読むのが好きなのだと思う。
どこかの誰かが書いた「正義ってなに?」「人とうまく話せなくて辛いのってなぜ?」みたいなことを読むのが自分の考える材料になるのだ。哲学書とか読むと難しすぎるし。
あとは普通になんなんだその話みたいな話も結構好きだ。あまりにも自分になさすぎる観点で読まないとどういう話か想像できないような話とか。
それから人の自分語りも好きだ。何が話されるのか、書かれるのか、何も予想できないときは特に。
つまり私は文章を読むことを通じて自分の考えの材料になって考え方が少し変わるような体験が好きなのだと思う。