失恋未満

※小説です

10年間好きだった女に恋人ができていたことを何週間か何か月か遅れて知った時に、俺は、そんなことどうでもいいなと思うようになっていた。そもそも自分がその人のことを好きだったという時間とか好きだという気持ちとか、その理由も含めて全部、かつてはあれほど考えたことなのにまあどうでもよかった。そんなに彼女と付き合いたいと思っていなかったのははっきりした。それは自分のことを汚いと思っているからだった。容姿にしても心にしても自分は淀んでいて存在が悪臭を放っていて汚れているという感覚があった。僕は実年齢とは別に自分のことを糞尿を垂れ流す末期老人のように思っていた。なので、好きな人がいたとして自分のことを選んでほしくなかった。付き合うことがあっても僕はそれを何かの介護のように感じてしまうだろうと自分が奥底で感じていたことが、はっきりとした。ただむしろ、私は彼女と接するときに、「彼女をねらっている男」としていつも軽くあしらわれるような関係を望んでいたのだ。ルパン3世と峰不二子のような、たまゆら学園のような。それはいくつかの自分の中の打算があって、第一に普通に話していて会話が盛り上がらない、第二に盛り上がらない会話のまま縁を繋ごうとするのはどうしても男女だと「狙ってる」感が出て気持ち悪い、第三に永続的に関係を続けるためにはそういう「この人私のこと好きなんじゃ」みたいな瞬間が出てくる可能性が常に邪魔になるのでそれを消したかった、そんなことを思いながら、自分の感情をカリカチュアして、とはいえもちろんしばらくホントに恋になってた時もあり、それでも心の奥でそんなことを思っていた。あとはこれは本当に大きなお世話だろうけど綺麗な顔なのに自分の見た目に苦しんでいるような雰囲気を感じたので、容姿を褒めることが自然な、あるいは自然でなくても容姿を褒めることで関係性を切断してしまわない関係になりたかった。そして、いつかどこかでこの人の心に触れられるような深い話をしたいなと思っていた。俺は多分好きな人に対して、あぁこの人は本当に話が合うだろうなと思っていた。結局その試みは、よくわからなかったというのが正直なところになる。私が好きだったのは、この人は、いい人だろうなというところだった。いい人というのは、ドラえもんに出てくる有名なセリフのように人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人ということだと思う。ただいい人で報われてほしいと思い、彼女はそれなのに苦しんでいるように見えた。そしてあろうことか私は、望まれもしないのに、私は、そんな彼女の力になりたいと思ってしまい、行動を起こしてしまい、その依存心を投影したヒーロー願望に囚われた自分が本当は嫌で嫌でたまらなくてそれに恋という見せかけをつけたのが本当だったのかもしれない。繰り返しだが、つまり、私は自分の心の弱さを癒すために彼女を自分に依存させる関係へと持ち込んで利用しようと振る舞っていたのだろうと思うしそれはそもそも全く相手にされることもない立ち振舞であった。そしてそんな私にとって本当に虚しいのは、愛されなかったことなどではなく、結局彼女が苦しみから立ち直り豊かな人間関係を結んでいく過程に私は本当に何も関われなかったというただそれだけの虚しさである。私にとっては失恋よりももっと品のない事態でしかこれはなかったのだ。私はそんな自分のことを好きになれるわけもなく、かといって陶酔的に自己嫌悪できるほどの興味ももはや自分自身に対してなく、ただただ空っぽで単純で底の見えない失望を自分自身に感じるだけである。彼女が幸せに生きられる世界でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?