石丸新党を評価する 政党ではなく奨学金プログラムとして

石丸新党の試みを理解できていない論評が多い。無理もなく、そもそも難解なコンセプトである。とはいえ、私としてはかなり面白い側面を持った挑戦という印象を持った。

これは正直、石丸氏の振る舞いについてそこまで高い評価を持てていなかった私としてはかなり意外なことでもあった。石丸を取り上げ続けるリハックにはやや辟易していたし、石丸氏自体のメディアに対するパフォーマンス的対応は首を傾げる事もあったし、支持層の熱烈さも少し気になっていた。

とはいえ、石丸新党について政策を持っていないということから批判する論調もあるが、それは石丸新党のコンセプトを理解できていない、おそらく石丸に言わせれば古く頭の硬い発想だと思われる。

あえて言うと、現時点での私の石丸新党の理解としては、イデオロギーにより候補者を募る「政党」というよりも、政治家奨学金プログラムである。能力で選別し、金銭及びコミュニティとしての支援を行うのは奨学金プログラムの発想で理解した方が分かりやすい。

というのも以下が石丸氏の掲げた候補者への支援の内訳である

これを政党ではなく奨学金プログラムとして見てみるとどうであろう? その方が分かりやすく見えてこないだろうか。

そこを踏まえて考えると、この政党に批判をするとしても、イデオロギー云々、政策云々の話ではなく、選抜プロセスの妥当性についての議論、候補者支援プログラムの中で候補者自身の活動の(石丸氏からの)制限のプロセスの妥当性、等々の観点の方が有益に思える。そもそもこのコンセプトを担う石丸という人間に対してモラハラ気質という論調も多い。コンセプトに賛同してもこの石丸を信じられるのか?という批判もあるだろう。いくらでも批判が可能であることもまた間違いはない。それでも、石丸新党の本質を政治家奨学金プログラムと見た上で批判の論理を組み立てる必要がある。

政治家奨学金プログラムという存在がありがたいのも事実である。松下政経塾のような場所が一定の存在感を持っていることを考えればこうした政治塾的な役割の意義は既に一定程度あるのだろうし、金銭的な援助と石丸氏の知名度に乗っかった選挙活動を展開できるのは魅力に映る人も多いだろう。自民党にしたところで石破から安倍までかなり多様な政治信条を持った集団であり、政策的に一致しているというよりは「自民党」という看板による選挙活動の有利さや金銭的支援、また党内の派閥が担ってきたある種の教育システムが実質的な核であったことは言うまでもないのだから、自民党も自民党で実は政治塾であり政治家奨学金プログラムなのである。なので、石丸新党は、その本質だけを取り出した上で任期制限を設けることで、当選回数至上主義的なガバナンスを放逐しようという試みだ。実験としてはとても面白い。

ともあれ、類を見ない試みであり正直これがうまくいくのかどうか判断するのは現時点で私には想像できない。候補者が集まるのかどうか、候補者の選抜がうまくいくのかどうか、資金源はどうなるのか。理念の前に実現性の有無についてもまだかなり不透明だという印象はある。正直かなりこの仕組みが回りだすのは難しい、無謀な挑戦だと思ってはいるのが現時点での感想であるが、注目してみたいと思う。

参考 
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/86042?utm_source=t.co&utm_medium=referral&utm_campaign=SPfooterButton



追記
コンセプトがどのように回り出すのかは定かではないが、このコンセプトが走り出す一つの形として「政治家リアリティショー」になりうる可能性も十分にある。そういう形で政治のエンタメ化が進んだ際には選抜される候補者の優秀さは実務家としての優秀さよりもむしろインフルエンサー的な優秀さに流れる可能性がある。実際にどのような候補者が選抜されるのか?
 ここは重要なポイントだ。

ここから考えられる中期的なアイデアとしては、候補者の選考を募る選考委員を石丸氏以外にも拡大していく方向があるのだろう。例えばひろゆき氏、石丸氏、成田悠輔氏、ホリエモン氏が候補者を面接して政策を問わず優秀だと判断すれば公認を与える……というような。いずれにしてもこのスキームが回りだしたら「誰が選ぶのか」「どのような形で選考が行われるのか」「選考はどこまでリアリティショー化するのか」がポイントだ。

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