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人生は正解のない破壊と創造の繰り返し

11月13日に40歳になりました。
たくさんのおめでとうメールありがとうございました。
嬉し恥ずかし無事に成人式2回目です。

せっかくの節目なので、30代の振り返りをしてみようかなと思います。
長いから気をつけて。

【30代前半は自分探しの無限ループ】

大学院を出て、メーカーの研究職につき5年が経過した頃、ふと自分の未来像が見えなくなった。
目標に白い靄がかかり、想像ができなくなったと言った方が正しい。
ちょうど結婚して2年、30歳までは仕事と自分に時間をかけたいと言っていた私が、会社という組織の中で「どうありたいのか」がわからなくなってしまった。

当時理由は大きく2つ考えられた。
・自分の理想としていた女性の先輩が立て続けに辞めたこと
・「女性」や「年齢」という見えないルールが見えてきたこと

結婚や出産という人生の大きな変化に対し、男性社会の中で120%以上の力を発揮して最前線にいた先輩たちは、復帰後の自分の姿が見えたのかもしれない。
もしくは、ここまでやり切ったという達成感もあったのかもしれない。

複雑な思いはあったものの、彼女たちの第二の門出に対し、感謝の気持ちとこれからの祝福の気持ちと両方を伝える経験が多かった時期でもある。
「いずれ私も選択を迫られる」
そんな焦りもあり、決められた時間の中で120%の気力で乗り切っていたのかもしれない。

一方で、私は今でも許せないことが一つだけある。
それは企業における女性人材への考え方だ。
私はジェンダーに対してはあまり問題意識を持たずに過ごしてきた。
というものの、高校から理系で育ってきたこと、フェーズごとにおいてとても恵まれた人間環境があったからだと思う。
多少の発言にも笑って流せたり、行き過ぎた発言にはきちんと言える、そしてそれを理解してくれる方が周りに多かったためである。

ただ、社会に出たらそうはいかない。
良くも悪くも色々な考えの人がいる。
そんな中でも私は上司や仲間に恵まれ、あまり性差を感じずに仕事をできたのだが、ある部署で「性差による我慢」を目の当たりにした。自分が尊敬していた先輩に対しての発言だった。
あの時は、本当に持っていたボールペンをぶん投げようと思ったが、よく律することができたと自分で自分を褒めてあげたい。
その時の怒りは辞める時に思いっきり言ってから去った。
当時大量に優秀な女性が去ったこと、時代の変化もあり、今はとても女性が働きやすい会社になっているし、顔には出さないが私はこの会社が今でも大好きで、仲良くさせてもらっている。

ただこの歳になってみると、このような考え方をする人が悪いとも思えないようになってきた。
彼らはその考えしか知らず、それがスタンダードだと思っているからだ。
そしてその環境を容認していた当時の体質もあったのかもしれない。
いずれにせよ、私にとって、自分より上の人間の考えが正しいと鵜呑みにすることをやめるいいきっかけになったことは事実である。

そんな自分ではどうしようもないことにモヤモヤしたり、ちょっとした性別の違いからできないことを私以外の人間に決められることに対し、少しナーバスになっていた。
「できると思っても、できないこともある。」
30代前半は、自分の存在価値に関して考え、一つの解を探していたような気がする。

【別の視点から物事をみることの大切さ】

自分の開発品を世に送り出し、最先端の開発にも携わることができ、社内での発言権はなかったものの、裏で業務を回すということの楽しさ(装置の効率性や作業配置を組み立てるなど)に快感を覚えていた時期に、妊娠がわかった。
産後復帰を考えなかったわけではない。
ただ、一度キャリアストップするという選択をしてみることにした。

考えると、5年周期くらいでキャリアの見直しを無意識にしている気がする。
・大学入試
・大学院への進学
・就職
人生の節目節目で立ち止まり、自分のあるべき姿を考えていたような気がする。
と言っても、賢い理想やプランはなく、この先の自分の姿を頭に思い描くくらいで、描いた後はその理想に向かって動きつづける。その繰り返し。

しかし妊娠時だけは、産後の自分の姿を思い描けなかった。というか自分が親になる姿を私の親ですら想像できなかった(俺はどんな人間に見えていたんだ)。これは一度、空白の期間を作る必要性を感じた。

育児は育自とはよく言ったもので、初めの3年間くらいの記憶はない。
自分がいなければ死んでしまうかもしれない生物のお世話に悪戦苦闘し、この10年何の我慢もせずにやりたい放題だった私にとって、この3年は修行と思わずにはいられなかった。
人生で一番病気をし、人生で一番病気を我慢した時期。

お母さん達との会話、初めての事務仕事、幼稚園探しなどなど。
装置との会話しかしてこなかったことを反省した毎日だった。
(そして今でも上記任務は苦手な領域である)

自分の経験が活かされない場所で、どうすべきか。
普通の人ならできることが、私にはできなかった。
人生3回目の挫折。

「母親なんだから」
この全ての思考をとめる言葉を、他人から何度言われたかわからない。
向こうにしてみれば、思ってのこと。しかし、母親からしてみれば、呪縛に満ち溢れた言葉と感じた。
今から父親になる人、祖父母になる人、まわりの親戚の方。
ただでさえボロボロの母親に、自身の経験というあやふやな定義でトドメをさすようなことは言わないで欲しい。
母親は、みんな同じではない。価値観を持った1人の人間なのだ。

この3年間は私にとっては、一方向からの判断「こうあるべき」という概念を植えつけられては毟りとるという作業の繰り返しで、人という存在を学ぶいい経験だった(それまでが装置と仲良しすぎただけだが)。

【社会に出て気づく「知らない」ということ】

子供の幼稚園入園とともに、本格的に外に出て仕事をすることを選んだ。
専業主婦が嫌だったわけではないが、私には合わなかったというだけだ。
ここで、私は大きな壁にぶちあたった。

オーバースペック女性の行き先問題。
30半ば、ブランク4年。正直サイクルの早い前の業界では化石レベルであり、延長保育の時間を含めても専門職は厳しいことが自分でもわかっていた。
事務職を受けようにも、二言目には
「なぜこんな経歴でうちへ?もっと他にあるでしょう?」

やってみたいという意欲は、儚くも経歴で切られ、自分はほんの小さな世界で毎日戦っていたんだなということに改めて気づいた。
経歴をあえて消すということもアドバイスされたが、それだけはできなかった。
経歴は恥ずかしいものではない。失敗しながらも、もがいた立派な足跡なので。

そんなこんなで、自分の知識経験を生かし、学校現場に入ることにした。
支援員という形で理科の授業サポート。顔には出なかっただろうが、毎日児童が実験でわくわくする姿を見るのはとても楽しかった。
大きくなって、同じ道に進んでくれる子供が1人でもいたらと思うと、自分にできることは何でも教えたくなった(先生からしたら嫌な支援員だろうが)。

以前の記事でも書いたが、子供の入学前に小学校を第三者視点で見ることができたのは個人的にはとても良かった。
負の部分も正の部分も、職員室の人間関係も。

そんな中で、「学ぶ」ということをもう一回してみたいなと思い、気づけば大学への研究室の募集を探すようになっていた。
初めは、自分の専門分野でのテクニシャン採用を探していたが、場所と時間の関係で断念(というかそもそもの分野がとても狭い)。

その中で、気づいたら大学で全然別分野を学ぶことになっていた(苦笑)。

ここでの話は長くなるので割愛するが、私はここでカルチャーショックを受ける。
大学のあり方、分野の違いによる学びの違い、学生の目線など、私が知っている大学の概念が吹っ飛んだ。

そして、何より。
「動かなければ、何も変わらない」
を教えてくれる場所でもあった。

自分の一歩で目線は変わる。
自分の一歩で世界は変わる。

知らないことを恥ずかしいと思うのではなく、自分が成長するラッキーなことだと初めて感じることができた。

「知らない」を武器に、行動し、失敗し、色々な人と出会え、本当に今私は充実した生活を送っていると思う。
出会ってくれた皆さんにまじで感謝したい。

【そして今】

1年前、私はまたも別の場所にいた。
新しい自分の5年後をイメージできたからだ。

1年後の今、私は無謀にも起業した。
それがA-Co-Laboである。
A-Co-Laboを支える研究者仲間と一緒に、社会における研究者のあり方を変えたいと思っている。

100人いたら90人がそんなこと意味がないというかもしれない。
でも、残りの10人が救われるなら?
それは意味のあることなのではないだろうか?

やはり冷静になると無謀だなと思うのだけど、今は1人ではない。
そして想いに共感し登録くださった研究者の方もいる。
私たちも、その人達も研究者で良かったと思う人生を送りたい。

そして、40からのスタートを次の世代の研究者たちと一緒にきれることにとても感謝をしている。
毎日が勉強で、体は壊すは、シワは増えるは、徹夜はできないわと衰えは感じるものの、私にはこれくらいの生活があっているのかもしれない。
(とはいえ、体は若くないので労りながらやります)

【何かを迷っている人へ】

正直迷い続けた30代で、こうやって振り返ってみても正解はひとつもない。

30後半からの挑戦。
生きてきた中で一番自分と向き合い、一番伸びた時期だと思う。
そして「自分がいいと思うもの」を選ぶことが40手前でできた。

私の親は、私への優しさから今でも「40なんだから」という。

そんなことに恥ずかしがることはない、誰しも初めはゼロなんだから。
迷うくらいなら失敗した方がいい。
学校にいる間なら尚更。学校は失敗を学ぶ場所だ。
本当にダメだと思ったら逃げてください。逃げる勇気も必要。

聞ける環境があるうちに、どんどん聞いておいた方がいい。
キツいこと言われるかもしれないけど、自分を見つめ直すいい機会。
その環境に自ら蓋をしていたら、そのチャンスは二度と生まれない。
恥ずかしさがあるなら、こっそりだっていいんです。

そして意見のぶつかり合いを他人とした方がいい。
言葉に出すと自分の「べき」論に気づき、はっとするから。

40歳と10日。スタートはいつだってできる。

#挑戦している君へ