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敷地内同居が心地よくなってきた訳

1年前、
敷地内同居が嫌で嫌で仕方なかった

でも本当はそう思ってしまう事自体が
何より嫌で
本当は仲良く暮らしたかった

それが出来なくて苦しかった

1年前は
常に見張られてると思っていたし
自由に生きられない気がしていたし
対応するのも
いちいち面倒くさくて
干渉して来ないでって思ってた

でも今は
「見張られてる」は
「うん、見られているねw」
に変わった


「見られてる」事象は変わらないけど
「見られてる」
ただそれだけ
それ以上でも以下でもなくなった


「あ、帰ってきたな、」
「あ、出かけて行ったな」
ただそれだけ
(私もそのくらいなら思うもんね


「見張られてる」と思ってたのは
私の心に問題があったから。
そう思えていただけだった。


『私が自分の行動を、
常に責め立てていたから』

義実家みたいに
もっとちゃんと掃除しなきゃ
洗濯干さなきゃ
布団干さなきゃ

実家に頼らず
自分で子どもを見なきゃ

ちゃんと暗くなる前に帰らなきゃ

ご飯ちゃんと作らなきゃ


自分で自分にずーーと言ってた


それを出来てない自分を
自分が認めたくなくて
義母にもバレたくなくて
ちゃんとした人に見られたくて
そうじゃないといけないように
勝手に思って
常に心が張り詰めてた


だから、
常に監視されてるように思えたし
いつも取り繕うのに必死だった

でも
そんなのとっくにバレてたし

マママスで向き合って
うまく出来ない自分にも
毎回寄り添う習慣をつけていくうちに
そんな自分でも良いんだって
思えるようになってきて
自分を許せるようになってきた

出来なくてもいいよ
全部完璧になんて出来ないよ
そんな時があってもいいよ
そうゆう日もあるよ
って

そしたら、
掃除が行き届いていなくても
お惣菜買っても
それを開示出来るようになってきた

それに対して
相手がどう思ったかは
相手の価値観なだけで
私の関与できる事ではない、
と思えた事も大きいかな


あと、もう一つ大きかったのが
自分がhsp(繊細さん)だと気付いたこと

私は、当時自覚はなかったけど、
ずっと義実家のいとこの子と
自分を勝手に比べていて
自分の至らなさを責めていた


年齢も同じくらい
子どもも同じくらい


彼女は
いつも明るくてパワフル!
友達も本当にたくさん!!
フットワーク軽く
毎日のように色々な友達と遊んで
色んな場所に出掛けてた

児童館や支援センターを頻繁に利用して
色んな場所ですぐにママ友を作る
子どもはいつも沢山の子ども達と交流してる

お料理上手で
実家を頼る事はあるけど
私のように頻繁には帰らず
旦那さんが忙しいのに
ワンオペで頑張ってる、、、、。


それに比べて私は
いつも明るい性格ではないし
友達の数は少ないし
毎日毎日は疲れて遊べない
児童館や支援センターも義務感で行くしかなくて
人と話すことも気を遣って
行っては疲れてを繰り返してた

料理も苦手で
旦那さんも
早く帰ってきてくれるのに
実家にもよく帰ってるのに
なのに、毎日疲れてる私、、、。


私は甘えてるんだ
もっと大変な人もいるのに
どうして私はこんなにしんどくなるんだ
もっとやらないと

私が友達付き合いが少ないせいで
子どもの貴重な交流の機会を奪ってる

そういつも責め立てられてるような気がしていた


だから義母との話に
この子のことが出てくると

「昨日も1日公園連れてったみたいよー」とか
「今日はお友達が来るみたいで、」とか

私の胸にグサグサ刺さってた、、。


でもこれも全て
私が『自分はダメだ』
というフィルターを持っていて
それを通していたから
そう受け止めていただけ


 

義母は
ただ「そうゆう事象」を伝えていただけ

私も「そうゆう事象」として
ただ受け取ればよかっただけ

何の深い意図もなかったのに


そして
自分がhspだと分かって
自分が何故こんなにも疲れやすいのか
毎日毎日フットワーク軽く
行動出来ないのか
やっと理解できた時、

あの子のように出来なくて良かっただ

ってやっと心の底から
自分を許せた気がする


私とあの子は別の人間

全く同じようにやれなくてもいい


あの子は
それが好きだから、好きでやってる

私は
そうゆう事やりたい訳じゃない
無理矢理やらなくてもいい


それがやっと腑に落ちた時
肩の荷が降りて
自分の出来なさ加減も認めることが
出来る様になっていった


友達が少なくても
その分深く関われる私もいる
形だけのママ友を無理に作りたい訳ではない
疲れない程よいペースで遊びたい


そんな風に
自分の気持ちを確かめていくうち

「これが私」

「私は私で良かったんだ」って

どんどんラクになっていった


息子だって毎日楽しそうに過ごしていたのに
私が勝手に「もっと交流させないと」って
負荷をかけていただけ


例え
相手の発言が
ん?嫌味?と思えたとしても
それは相手のフィルターを
通した価値観に過ぎなくて
そうゆう考え方を持つ人もいる
ただそれだけのこと

私自身が責められた訳ではなかったんだと
やっと思える


その人はそう思う。
ただそれだけのこと。

私の価値には何の関係もなかったんだ



これまで
どうせ私なんていない方がいいんでしょって

ずっと拗ねてたけれど
私が一番自分にそう思ってたから
全てがそう見えてた

「私はいない方がいい
私がいない方がみんな幸せ」


そのフィルターを疑ってみたら
意外と歓迎されてる時も
あったりすることに気付いた


今は皆んなでお出かけしたり
子どものお世話をお願いしたり
とても良い関係になってきた


(※仲良くなる事が正解、って言いたい訳じゃない
人それぞれ、自分が心地よいと思える関係性は違うから。自分だけの心地よさに正直でいたいね)


少しずつ少しずつ
私が偽りの鎧を脱いでいったら
どんどん人間関係がラクになる


背伸びしたり
繕おうとしてたから
苦しかったんだなぁ〜


同じように悩んでる人がいたら
伝えたいな🍀


初めから
そのまんま!
出来ない私のまんまで!w
良かったんだなぁ〜笑



あ、あと義母より
実母を喜ばせたかった、
ってゆう潜在意識もあるよね〜
だから、つい義母を敵にしたくなる
本当に複雑な心の中〜w

どっちかだけ、じゃなくていい
どっちも、もあって良かったんだ〜



きっと、こうゆう事で悩んでた事を

どんどん忘れていってしまうような気がしたから

今のうちにここに書いておくよ☆


読んでくれてありがとう♡


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