人生初の海外旅行 ニューヨーク編 part2
ニューヨーク行きの空港にはJFK空港ともう一つラガーディア空港。13時間以上の長いフライトを終えて、その便はようやくJFKの空港に到着した。その時の印象は、空港に着くなり自分はウサギでライオンなどがいる動物園の檻に放り込まれたような感覚。たくさんの人種が空港で待っていてこちらは誰も知り合いがいないが、そこにいる人たちに睨まれているような感覚にもなった。これも心理的な不安のせいだろう。内心は初めてのニューヨークでおっかなびっくりしているのだが、態度は動揺していないふりを装ってガイドブックに書いてあったシャトルバスを目当てに空港の外へ出た。JFK空港からマンハッタンまではシャトルバスで向かうことにしていた。到着したのが夜の10時過ぎだったこともあり、あたりは暗い。しばらくすると、多分これがそうなのかもしれないという小型の薄汚れたバスが目の前に止まりドアが開いた。運転手はニット帽を被った黒人の若者で目が合った。そして早く乗れよと言わんばかりに何か言われた。そこで慌てて荷物を持ってバスに飛び乗った。バスの中はたくさんの疲れた顔をした人たちがうつむいて座っていた。ついにミューヨークへ来てしまったとドキドキしながら窓から外を眺めた。暗くてよく見えないが家らしきものがポツリポツリと見えては消えていく。
1時間以上乗っていただろうか、しばらくすると住宅街が見えてきた。そして都会に近づくにつれて煌びやかになり、映画で見たニューヨークの光景が突然目の前に現れた。とにかく自分が映画などで見ていたニューヨークが目の前にあることに感動した。マンホールから水蒸気が立ち昇り、ネオンサインが水たまりに映り、なんともいえない雰囲気を醸し出している。立ち並ぶビルはレンガで作られていて壁にはさまざまなアートが描かれている。さまざまな肌の色の人たちが行き交い、誰もが目的地に向かって一目散に歩いていく。
そして遂にマンハッタンに到着したようだ。バスから降りてみて、自分がホテルを予約していなかったことを思い出した。初めての海外旅行とはいえあまりにも自分の計画性のなさに半ば笑いが込み上げてきた。映画のイメージでは夜は特に危険だからと、荷物をひきずりながらとりあえず滞在できそうな宿をガイドブック片手に訪ねてみた。何件か断られたあとにミッドタウンにある小さなホステルを見つけた。受付には白人の女性がいて、カウンターにある用紙に何かを記入して欲しいと言われたことをなんとなく理解できた。そこへ自分の名前をアルファベットで書きつけると部屋に案内された。そこは凄く狭い小部屋で天井にはエアコンがついていた。とにかく1日だけここへ泊まって明日の朝になったらまた別の宿を探せばいいや。とにかく今日はここで寝ることさえできればいいと思い、ベッドへ倒れ込んだ。生まれて初めての海外旅行で知らない国へ来るということを少しずつ感じ始めていた。これが自由というものなのだろうか?とにかく全てが初めての経験だった。
それから後のことだが、大都会ということもあり何でもあるから言葉を話せないということ以外はなんとかなってしまうことが段々わかってきた。少し慣れてきて売店でポテトチップスを買ったり、コーヒーを飲んだりすると少しずつ緊張がほぐれてくる。ニューヨークに来て感じたのは歩いている人たちのスピードが早いということ。こちらは旅行バックを持っているから余計に他の人たちの歩くペースに追いつくことが難しい。周りを見渡すと自分よりも背の高い人たちが多いことに気づく。そして足の長さの違いまで感じるのである。単純に1歩1歩の長さの違いを感じる。これがニューヨークというものか。これはほんの序の口でありこれを機会にあらゆることに衝撃を受けることになった。
翌朝は自分の憧れていた有名なホテル、チェルシーホテルにチェックインすることができた。このホテルは有名なSF作家が長年住んでいたり、伝説のパンクバンドSex Pistolsのベーシストであるシドヴィシャスが彼女を刺殺した場所、、、さまざまなことで有名な曰く付きの場所である。そこに、ニューヨークへ行ったらぜひ滞在したいと考えていたのだ。散々彷徨った挙句やっとそのホテルの前にたどり着いた。しかしロビーは薄暗くて本当にここは営業しているのだろうか?という雰囲気のホテルだった。ビルの中にある受付らしき場所に行くとそこには年老いた黒人男性がいた。そこへ身振り手振りで覚えたての英語で「Do you have any room for tonight?」というフレーズを伝えるとなんとか受付を済ませることができた。ここで驚いたのは受付を済ませたあと黒人の子供が荷物を運ぶのを手伝ってくれたことだ。どうやら受付の人の子供みたいだ。古いエレベーターがゆっくりと上に登っていき、その子供と自分の二人だけで特に会話はないのだが、沈黙するエレベーターの中で彼は笑顔を見せてくれたので少し安堵した。チェルシーホテルというのはここがチェルシー地区というエリアだからそう名付けられたんだということを後に知った。
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