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nismo 40周年の話 その2

 今日は昨日に引き続き日産本社のギャラリーで開催されている,nismo 40周年記念展示で展示されていたクルマの話をしていきたいと思います。今回は忘れてはならない日産の,ひいては日本のモータースポーツの象徴的な一台についてオタク語りをしていきたいと思います。

カルソニック インパル スカイライン GT-R  Gr.A

 それが超有名なこのマシン。ソリッドなブルーがまぶしい,チームインパルのスカイライン GT-RのグループA仕様のマシンです。

フロントタイヤが異常にハの字になっているのはフロントに積んだ大パワーエンジンの象徴

 グループAとは市販車をベースにしたGTカー(いわゆる箱車)のカテゴリーで,ベースの市販車からの改造範囲が限られています。一定台数を生産した車両でないと参加できないですが,街を走る身近なクルマがレースをするということで当時は絶大な人気を誇ったカテゴリーです。そのグループAで猛威を振るっていたフォードのシエラRS500に対抗すべく日産が1990年に投入したのがこのスカイラインGT-R,通称”R32GT-R”です。

 この時日産がとった戦略が「市販状態で高いポテンシャルを売りさばく」というものでした。当然メーカーには負担になりますが,それほど勝利に飢えていた,そして当時はバブルで売れる見立てがあったということから実行。いい時代だなあ……。

コックピットはレースカーらしく部品は取り除かれているが,ダッシュボードに市販の面影が

 メカ的なハイライトは心臓部RB26DETTエンジンとそれを余すことなく路面に伝えるアテーサE-TSシステム。RB26DETTは市販状態では280馬力ですが,改造範囲内でちょっと手を入れるだけで500~600馬力に達するエンジン。中途半端な排気量はターボ係数を掛けた際に規定いっぱいを使い切るためというスペシャルっぷり。ロマンですねぇ。アテーサE-TSは当時としては珍しかった「速く走るための4WD」。通常は後輪のみで走り,コーナー脱出で後輪がスリップすると前輪も駆動させるというシステムです。

 この二つのシステムを武器に,国内では全戦全勝でGr.Aの規定が終わるまでの4年間で29連勝という狂ったとしか言いようがない記録を打ち立ててます。参加2年目後半からは,「GT-Rでないと勝ち目がない」ということで実質ワンメイク化したこともありますが。ライバルもついぞ現れなかったことからGr.Aのカテゴリーが終了する原因にもなりました。ヨーロッパの耐久レースでも猛威を振るい三大24時間レースの一つ,スパ24時間も制覇してます。

 で,展示されていたのはそんな黄金期のはじまりを告げた1990年のチャンピョン車両,星野一義が駆ったチームインパルのマシンです。縁石を片輪で飛び越えるように走る姿はあまりにも有名。たまにその動画を見ながらお酒を飲んだりします。エポックメイキングなマシンなので,YouTubeなどでも様々な形で取り上げられるマシンです。こちらは一例。

 ニスモフェスティバルなんかでは走っている姿を今でも見ることができます。

 誕生からGr.A終了までの流れはこちらの動画で。

 星野御大との再会もあります。

 と,いうわけでR32 GT-R Gr.Aを語る回でした。小さいころからの憧れの一台なので,見たときはやっぱりテンションが上がりますね。
 ではまた。

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