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自由のためにガソリンを燃やせ。

「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。車以外にこんな製品がありますか?」

カルロス・ゴーン

 功罪はともかく,この発言には頷くことしかできない。



 車通勤ができるようになって数年経つけど,仕事の前後でクルマに乗る時間があるというのは,かなり大きい。それは気持ちの切り替えという意味でもそうだし,平日でも趣味をちょっとできるという意味でもある。

 好きな音楽を聴きながらクルマを運転する,それだけで自分は幸福感を得られるし,嫌なことをとりあえず忘れることができる。ゴーンの言うとおりである。電車で帰ろうものなら悶々とした気分を引きずりながらつり革につかまることしかできない。それを毎日続けるなんて正直耐え難いものである。


 そこそこ都会で便数の多い路線沿いに住んでいながらクルマを持つということは,やれコスパが悪いだの,やれ事故のリスクを理解していないバカ者だの言われるが,そんなことは重要じゃない。

 クルマを得ることによる自由が欲しいんだ。


 かの竹中直人氏は,かつて「笑っていいとも!」でタモさんに運転の喜びを聞かれ、こう答えたという。「仕事が早めに終わったらさ、海に行けちゃうんだもン」

 この自由こそがクルマを持つ意味だと思う。

 土曜日に偶然早起きできたら昼にはどこかの温泉だって行けるし,遠出する用事のために高速道路で朝日を迎えてもいいし,夜な夜な首都高で夜景を横目に流したっていい。

 そういう自由を手にしたいんだ。


 そういう意味では自分の職場への行き来もささやかな自由の行使ともいえる。そうやって日常の中にちょっとした自由のアクセントを足して,モノトーンな日々にちょっと差し色を入れるのである。


 今日は唐突なクルマで自由を感じた話でした。
 それではまた。

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