レトリックから自由になることで自他ともに充足を目指せるかもしれないと思った話
食うか食われるかのレトリック
「"食うか食われるか"などという漠然とした概念は
反論可能性がなく、要件として許容され得ません」
常から熱烈なH教授の口調が、
一段と高まり、大教室に響き渡る。
民法総論第一部。
法律の入口に立ったばかりの2年生も、
何とはなしにことの重きを察し、
緊迫の面持ちで続きを待つ。
「食うか食われるかの権利関係」という
斯界の重鎮、我妻栄先生の通説を、
H教授が学生の前で一刀両断した瞬間だ。
レトリックに反旗を翻す坂本龍馬
法律は、移り行く世の中の
多様な問題を解決する仕組みを
これまた移り行く不完全な言語で定めたものなので、
解釈がつきものだ。
その解釈には、
賛同者や適用事例の多寡に応じて
通説・判例があり、
多数説があり、
そして少数説がある。
学生は、時に、指導教授が自らの少数説をもって
通説・判例に挑む姿を目にすることになる。
圧倒的通説・判例がある中で、
どうしても腑に落ちない、
本当はこうするのがいいのではないか、
と長年吟味を重ねた末、
意を決して反旗を翻す姿は、
ちょっとした坂本龍馬風にも映ったものだった。
ビジネスハウツー本のレトリック
四半世紀を経た今、こんなことを思い出したのは、
たぶん一昨日読んだ『最強の独学仕事術』のせいで
ほかのいわゆるビジネス書の売り文句に対して
常から抱いていたひっかかりが
意識の中で顕在化したからだろう。
よくあるビジネスハウツー本の売り文句といえば、
〇〇時代を「生き抜く」
〇〇期を「生き残る」
(〇〇にはその時代の過酷さを象徴する
なるべくセンセーショナルな表現が入る)
だがしかし、である。
では、その本を買わないと
ゴルゴ13があなたを殺しに来るのですか?
いえいえ、それはただの例えでしてね。
あぁ、そうですよね、
「食うか食われるか」と同じ、
ただのレトリックですよね。
レクター博士でもいない限り
誰もあまり食われたりはしないし、
ある本を手に取らないからと言って
いきなり死んだりもしない。
つまり表紙のレトリックには実質的な意味はない。
では「生き抜く」と銘打った本の目指すところは何か?
★他人が脱落する中で自分だけは成功する★
身もフタもないですが、
ビジネスハウツー本の多くは、
そうした趣旨。
ビジネスハウツー本の坂本龍馬?
でも、それでいいのか。
自分だけ成功したとしても、
蹴落とした誰か、
脱落した誰かがいる社会で
本当に安らかにしあわせを感じられるのか。
読者がこの問いを発した途端、
ビジネススキルをまくしたてる「だけ」の
ビジネスハウツー本は、
金の馬車からカボチャに戻ってしまう。
そんな中、『最強の独学仕事術』は
「生き抜く」といったレトリックには
目もくれないように見える。
凌駕し睥睨することではなく、
自他ともに成長し充足することに
素直に全集中している。
啓蒙書や宗教の類ならいざ知らず
ビジネススキルの伝導に特化する風でいながらも
食うか食われるかのレトリックに反旗を翻している。
これまた静かな坂本龍馬なのかもしれない。
*こちらの投稿は、前回の読書感想文を投稿する際に、一定のトーンからこぼれ落ちた内容を、今度は色の縛りなく自由に書き散らしてみたものです。
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