巨星堕つ。
平良敏子さんの凄かったところは『私心』が全く無いところだったと思う。人間国宝の個人指定も辞退し、決して芭蕉布は自分1人で出来る物では無いと語り続けた。その想いを受けて、私はお客様に『これは平良敏子さんの作品です』と言ったこともないし、証紙に名前を書き加えることもなかった。そんな事をすれば平良先生の想いに背くことになるから。弊社も昔ご迷惑をおかけしたこともあったと、お嫁さんの美恵子さんから聞く。また、平良敏子さんのお人柄に甘えて、良い加減な取引をする業者も絶えなかったとの話もある。しかし、そんな時でも決して、それまでの恩に背くような事はなさらなかった。『与えても求めない』そんな方だった。沖縄の表も裏も知っていた父も、『平良さんだけには頭がさがる』と常に言っていた。
あれだけの大作家。沖縄の染め織りといえば平良敏子と言われるような立場にあっても、決しておごることなく、常に現場に立ち続けた。工房に行くと小さなお婆さんが島ぞうりを履いて、作業をしていると思ったら、それが平良敏子さんだった。
皆が皆、平良敏子さんの様になれるとは想わないが、染織家として何を大切にするべきなのか、人間としての生き様を学んで欲しいと思う。
祖国復帰50年の記念すべき今年、平良敏子さんを失ったのは何かの因縁かもしれない。50年前に染織を引っ張った方々が次々と鬼籍に入られる。跡を継ぐ者は何をすべきか。しみじみ考えて見たい。
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