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『百年の孤独』を読み解くために④不吉な黄色について

長い『百年の孤独』中で繰り返し使われる印象的な色彩はこの黄色である。秋の色であり、滅んでいくものの色である黄色は、この作品の中で死のシンボルとして用いられているのだ。

田村さと子『百年の孤独を歩く ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』P.88


『百年の孤独』を読み解く上で河出書房新社から出ている田村さと子さんの『百年の孤独を歩く ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』を並読しています。

黄色というと黄金などの連想から繁栄のイメージカラーのようですが、スペインなど西洋では不吉な色としても使われるそうです。

考えてみれば、日本でも死後の国を『"黄"泉』といいますし(中国の五行思想からきているそうです)、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』でウェルテルが拳銃自殺するときの服装も「"黄色い"チョッキ」、コアなところでいくとラヴクラフトのクトゥルフ神話に登場するハスターは「"黄"衣の王」と、黄色が刺激する走行性は、必ずしも陽の方向に導くものではないのかもしれません。

田村さと子さんのご慧眼に戦きながら、今回は本文中で黄色もしくは黄色系統、黄色に近い色のものを取り上げていき、それが暗示するものをみていきます。

こちらの記事では新潮文庫版『百年の孤独』鼓直訳を元にしています。引用ページ、行数もこちらに準じています。



アウレリャノ大佐がつくった魚の金細工


物語全体を貫く「黄色」は大佐のつくる魚の金細工です。上記引用の通り、これを渡された人物は死ぬか消息が分からなくなります。

P.106 レメディオス・モスコテ→妊娠時に死亡
P.183 グレゴリオ・スティーブンソン大佐→砲撃を受けて死亡
P.204 銃殺隊のひとり→狩りに出て帰らず
P.337 17人のアウレリャノ→全員殺害
P.544 ソフィア(14個も!!)→消息不明
P.554 カタルニャ生まれの学者→消息不明(恐らく死亡)

また、結末は書かれていませんが、

P.471 アルカディオ・セグンドの捜索にきた大佐ファンの将校

も魚の金細工を受け取って屋敷をあとにしているので、おそらくろくな最期は迎えていないのだと思います。

また、田村さと子さんは、こうも書かれています。

この黄金の色は字のとおり黄色と同様、死のイメージを伴っている。先コロンブス期のラテンアメリカでは先住民たちは魚を雨をもたらすものとして、あるいは豊穣のシンボルとして受け止めていた。コロンビアの各地の先コロンブス期の墓地では、魚の形をした石板やいわし等の形をした金細工が多く見つかっていて、金細工の魚は死者に対する捧げ物であったことがわかっている。この場合は死者への捧げ物であるが、『百年の孤独』では、受け取る者の死を予兆しているのだ。

田村さと子『百年の孤独を歩く ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』P.89 L.17~ P.90 L.1

貴金属加工の技術はもともとは移民たちの技術ではなく、先住民であったインディオ(と呼ばれる人々)の技術だそうです。

インディオのチブチャ(ムイスカ)族はインカ帝国やマヤ文明にも劣らない高度な文明を持っており、特に金の細工に長けていたそうです。鋳造、打ち出し、溶接の技術で金製品を作り、これが黄金郷(エル・ドラド)伝説にも結びついたのだとか。

そして16世紀になるとスペイン人が訪れ、先住民を虐殺。その文化・文明をことごとく破壊します。

アウレリャノ大佐は金の加工を独学で身につけました(P.66 L.11~12)。これは作中では触れられない謎のひとつですが、なぜアウレリャノ大佐は、誰に教えられたわけでもないのに上記引用の通り「死者へ捧げる」魚の金細工を作り始めたのでしょうか?

工房を作り、金加工の環境を整えたのはメルキアデスと父ホセですが、魚の金細工を作り始めたのは大佐自身の意思なのです。

考えてみれば、被虐殺者たちの金加工技術を、加害者の血筋が偶然にも継承しているのも皮肉です。

この偶然はなにかに仕組まれているのではないか。
なにか時間を超えた怨嗟のようなものが大佐にそうさせているのではないか……大佐の作る魚の金細工にはインディオの意思がこもっており、手にしたものを死に導く呪いのような力があるのではないか……それゆえに魚の金細工はマコンドのひとびとに売られ、マコンドは滅びたのではないか……

とまで考えるとまるでホラー小説ですが、そんな読取り方も面白いのではないでしょうか。


バナナの黄色


後半の物語を占める黄色がバナナです。

ミスター・ハーバードがバナナを食べたことをきっかけにマコンドにバナナ農園ができ、バナナ・プランテーション化したマコンドは開拓時代とは比にならないほどの繁栄を見せます。

しかし、それと同時に過酷な労働を強いられ、駅前での3000人の大虐殺に繋がります。この虐殺を上手に揉み消したバナナ会社の社長ジャック・ブラウンが業務停止を口にした瞬間に大雨が振り始め、マコンドの衰退が始まります。

まさに、バナナの黄色はマコンドの陽と陰、繁栄と滅亡の象徴なのです

ガルシア=マルケスがバナナ農園とその労働者の虐殺を描いたのはコロンビアで実際にそれがあったからですが、バナナ農園の大虐殺が作者の体験に深く刻みつけられていると考えると、「黄色」に対する不吉なイメージの原初にはこの黄色い果物も関わっているのではないか、と勘ぐりたくなります。


死に関わる黄色


上記のふたつのほかにも「黄色いもの」は死を予期させるもの、もしくは死と直接結びつくものとして登場します。以下に列挙しますと、

P.115 義歯入れに浮かぶ黄色い花→メルキアデスの死
P.221 降り注ぐ黄色い花→父ホセの死
P.308,309 黄色い薔薇→レメディオスに惚れたよそ者の男の死
P.437 黄色い蛾→マウリシオ・バビロニアの死
P.519 オレンジ色の円盤、エジプト豆→ウルスラの死の直前
P.560    ウルスラが隠してきた金貨、金貨が放つ黄色い光→法王ホセの死

このような具合に、死を匂わせるために、もしくは死を悼むかのように黄色いものは登場します。
また、人の死だけではなく、マコンドの死――滅亡を予期させるものとして、以下の「黄色」も登場します。

P.346,351,522 黄色い汽車、列車
P.368 ジャック・ブラウンの乗り付けたオレンジ色の車

どれも幸福や繁栄の絶頂を表現すると同時に、絶頂とはすなわち斜陽や没落が待ち構えていることを暗示しているかのようです。

また、不吉なイメージと直接つながりがあるとは思えませんが、念のため黄色いものを取り上げておくと、以下のものも登場しますので、備忘のために挙げておきます。

P.75 黄色い馬の飴→マコンドに不眠症を広げる
P.79 金の指輪
P.121 金色のお日さま→レメディオス・モスコテが描く
P.322 金のおまる
P.409 象の首にまたがった金色の衣装の女
P.592 《黄金童子(ニニョ・デ・オロ)》



以上になります。
今回は『百年の孤独』に登場する黄色の不吉なイメージについて取り上げていきました。こうしてみると、この小説の底知れない深みに気づかされます。

多くの気づきを与えてくださった田村さと子さんに最大限の感謝をささげます。





nostalghia

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