原島里枝さんの『常夜灯』(ライトバース出版)を読みました。
きっとそこに棲むのは、だれも本当のなまえがわからない、古すぎた土地であり、神であり、人なのだろう。
書くこと、話すことがひとの歴史そのものであるように、伝わらないこと、わかりあえないことも個人と集団の歴史だ。
コミュニケーションの袋小路を超えていくことが詩歌のもつ想像力の可能性であるなら、原島さんはまさにその想像力を信じてことばを投げかけ続けるひとだ。
『常夜灯』というなまえはやさしい。私の知らないところで、私の知らない誰かが、そこに立ち止まって灯りを点してくれているのであれば(そう態度で示し続けてくれているのであれば)私はずっと生きていける気がする。
湖に投げた石が波をつくりだすように、投げかけたことばが描くイメージの波紋を、その連鎖を、美しく思う。
前へ前へと押し流されていく時間の波のなかで、なにか確かなものをつかもうとすることの虚しさは本当に虚しい。
だれがことばをつくったのか、だれがことばのための土地をつくったのか、私たちはもう忘れているが、そこに仕えることは許されている。いっさいが束の間であったとしても。
今夜も、つぎの夜も、この詩集を開きたいと思う。