インドラネットと波、

ひとの弱いところを見せてもらうのが、とても申し訳なくなる。私にはさらけ出せるじぶんというものがあまりにも少なすぎる。

ひとと会話するとき、私は他者にとっての他者である。私という器のホストでありながら、他者という器のゲストである。インドラネットに連なる玉のひとつであり、他の玉を反射する。また、他の玉に反射される玉のひとつである。

ほんとうのじぶん、に悩むことよりも、そうした集合のなかで私はなんであるのか、なにをすべきなのか、について考えることは不毛だろうか。

ほかのたとえで言うのなら、わたしはまた、波のひとつである。他の波に押されて発生し、消え、また生まれ、他の波を生み出すひとつの波動である。実態なき現象。他者のうごきで移ろういのちであり、わたしのいのちがまただれかのうごきを生み出す。

と御託を並べたところで悩みが消えた試しはない。
私は他者にとっての主であり、妻にとっての夫であり、憎むものにとっての仇敵である。そうであることや、そうでないことを悩むことは馬鹿らしいだろうか。

わたしにできることはたかが知れている。なにも考えずに、日々をすこしでも善く生きることだ。目の前の、いつ消えるかどうかわからないいのちのために、すこしでも善く。それしかできないのだから、そのくらい、がんばってやってくれ。


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