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蓬莱島

※本稿は「ねむらない樹」vol.7(書肆侃侃房、2021年)掲載の短文「岸壁」に加筆したものです。


 釣りというものをずっと敬遠していた。ずいぶんな偏見だと今はおもうけれど、「釣りをする人はみんな短気だ」と小さいころ父親がいっていた記憶があって、釣りをすると性格が悪くなるんだとおもいこんでいたからだ。

 大槌で住んでいたのは派遣職員用に町が借り上げたアパートだった。シャーメゾンの物件だったから、職員はみんなそのアパートのことを「シャー」と呼んだ(どこかの部屋に集まって飲み会をすることを「シャー飲み」といい、毎週末どこかしらの部屋でシャー飲みが開かれていた)。わたしの派遣元の市は毎年一人ずつ大槌町に職員を派遣していて、わたしが五人目。前の四人が住んだシャーの部屋がそのままわたしにあてがわれた。四人それぞれに、よくいえば置き土産、悪くいえば残置物がちょこちょこあったのだが、基本的にミニマリストのわたしは容赦なく捨てた。唯一処分しなかったのが前前前住者の置いていった釣り竿だった。釣りをする気はさらさらなかったのだけれど、安物ではなさそうで捨てるのに気が引けたのと、下駄箱にうまく収まっていたのとで後回しになっていた。

 その存在を忘れかけていたある日、同僚に釣りに誘われた。その同僚は内陸の盛岡市から派遣されていて、せっかく海の近くに赴任したのだから一度釣りがしたいという。たしかに、これだけ海に近いところで生活していて釣りをしなかったら、もう一生しないかもしれない。釣り竿、うちにあるな。ちょうどいい機会だ。使ってみるか。

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