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ゲイ、疲労困憊、とりあえず現状整理

プロフィール

ご覧頂きありがとうございます。早速ですがまず初めに、軽くプロフィールを紹介しておきますね。その方がイメージ湧きやすいと思うので。
僕は今現在関東在住のいわゆるZ世代、仕事は数ヶ月前に辞めて転職活動中。そしてセクシュアリティはゲイ。僕の大切なアイデンティティです。ここ最近色々思うことが多すぎて思考の置き場に困ったので、こちらにまとめておきたいと思います。

マイノリティとして社会に存在するということ

そもそもこの社会システムの性質上、多くの人間が程度の差はあれど日々何かしら苦労をしながら生活しており、「少しでもQoLが上がる術」だとか「小さな幸せ」を模索し、なんとか誤魔化し誤魔化し抗おうとしているわけじゃないですか。

そりゃ"社会規範"の外に存在する僕みたいなcloseted gayは+αの悩みが尽きないのです。LGBTに対する法整備は進んでいない、知り合いや同僚からは「彼女いるの?結婚とか考えてないの?」といったマイクロアグレッションを受け、"BL文化があるし、比較的暴力事件は少ない"という側面のみで「日本はLGBTフレンドリー」と飛躍的な結論を出したがるマジョリティからは愛国心を刺激するお手軽な材料として利用され、少し声を出そうものなら「わきまえろ」「ありがたく思え」という空気が漂い、権利を主張せず「ひっそり暮らしているマイノリティ」が美徳とされ、ちょっとでも気を緩めると「多様性飽きた」みたいなわけのわからないフレーズが隣のテーブルからも聞こえてくる現状。

もちろん、数十年前に比べたら明らかにLGBTの状況(少なくとも僕みたいなゲイが置かれている状況)は良くなっていますよ。とはいえ「じゃあ誰もがopenly gayとして生きやすい社会か?」と言われたらまだまだじゃないですか。
てかそんなユートピア、世界で初めて同性婚を認めたオランダにもまだ訪れていないでしょ。

いっそのこと頭空っぽにして生活するほうが精神的にも楽って思う瞬間もあります。いっぱいいますもんね。なんらかのマイノリティに属しているけど政治や社会運動とか全く興味ない人。興味ないどころか、マジョリティに迎合しようとする人。
行動する者をマジョリティと一緒になって冷笑しポジティブな結果にはフリーライド…悲しいかなそれも一種の自己防衛手段となってしまっている現実はあるし。
これに関しては「そうさせる社会の責任」でもあるので、"マジョリティの気持ちに迎合する"という立場を取りたくなるマイノリティ達を100%の熱量で責めるつもりはないですけど。

ただそれと同時にこれって「個人の勝手」で済む話でもないよね?いやまあ積極的に発言/活動するべきとは言いませんけど、批判/冷笑だけはあり得ないでしょって。
今比較的差別されず暮らせているのは、ストーンウォールで抗った人達がいるからだし、メディアでの「ゲイを気持ち悪がる描写」を批判してくれた人がいるからなんですよ?っていう。
「権利と騒ぐ、不利益を被っていると主張したがる活動家のせいでLGBTの印象が悪くなる」????
そんな意見がマジョリティ側でもマイノリティ側でもふっつ〜に支持されてしまうから本邦の政治教育/人権教育は壊滅的とか言われちゃうのです。
欧米のコミュニティにも居座っている身として、もちろん向こうでもそういうのはたまに見かけるが、空気感っていうか支持され具合は明らかに違う。欧米ネット界隈で情報収集していなくても、その辺の意識の差は当然のように社会的な発言してる向こうのアーティストとか見れば一目瞭然ですよね。
僕は何もせず恩恵だけ受けるってのはこれまで戦ってくれた/声を上げてくれた先人に対してあまりにも冒涜的だと思うので、社会情勢を学び抗う姿勢を見せるのは大事というのは肝に銘じて過ごしています。
「デモみたいに町中で声を上げるのは自分の性格的に苦手だから行けないけどサポートはするよ!」っていう姿勢を見せるだけでも十分だと思いますから。

セーフスペースが欲しすぎる

とまあ僕自身、この調子で普段から政治だったり社会問題だったり色々考えていることが多いです。
で、恐らくですけどここまでの僕の発言を読んで「この人怖い…」って思っている人もいますよね。社会問題/政治といったことを大っぴらに語るのは"異質"とされる風土だから。

かくいう僕だってそういう話を四六時中したいわけではありません。当然。考えないで済むならそれがベスト。で、別に上記のような個人的な主張をリアルで面と向かって誰かにぶつけることなんて滅多にありません。というか寧ろ波風立てないよう滅茶苦茶気を使って生活してる方。
ただ、あまりにもノンポリ仕草をかましていたり、ジェンダー規範に捕らわれていたり、何より自分の特権性について1度たりとも考えたこと無さそうな人達に囲まれすぎる…という生活を続けていると僕自身の存在も消えていくような感覚になるのです。ちょっと言語化難しいけど。なぜならこういう人達の前で僕は本当の自分を出すことはなく諦めてしまうから。
内心「皆思考放棄したの?大きな枠組みにまで思考を巡らせるつもりはなく、自分さえ良ければいいの?」って思っていますけど、もうこれって個人というより社会の根本的な問題だから「期待するだけ無駄」ってなっちゃうんですよね。

まあそれに関係を失うって怖いじゃないですか。特に仕事上の付き合いとかだと今後に響くから「いや、それは違うと思います!!!!!!」って真正面から反論できるわけがないじゃないですか。それが社会的なトピックだと尚更。結局同意できない見解に出くわしたとしても乾いた笑いで誤魔化すしかない。毎回気持ちを押し潰して折れるから自分の中から主体性がなくなっていく錯覚に陥る…みたいな。社会で人と対話する度に感じる「"ありのままの自分でいる"ってここまで難しいことなのか」、と。

前の職場を辞めた理由の1つがまさにこれ。その時の上司は僕が趣味は写真ですって言うと「あー、女の子の盗撮とか?(笑)」のようなことを平気で発してくる同じ世界線在住とは思えない感覚の持ち主の方。
↑の上司みたいなのは近年の社会意識の変化もあり少なくなりつつあるとは思いますが、ここまで極端なケースではないにしろ「あまりにも自分と生きているベクトルが違う、故に無神経な言動してる」と思う瞬間は今でもたくさんあります。

このような事例が積み重なると、「自分と価値観会う人と関わりたいな〜」となりゲイ専用のマッチングアプリに手を出したりするんですが、マッチングアプリは「同じ価値観/信念を持つ人と繋がる」という目的への手段には到底ならないということを身に沁みて痛感し「僕どうすればいいの…」となっているのが現状です。
ただでさえゲイ同士が出会うのは至難の業。ましてや価値観まで共有してくれる人ってなると…一生会えない気がしてきたハハハハハー
(恋愛事情であったりこの辺の話題になると余裕で1本丸々記事書けちゃうので一先ずここまでにしておきます。別記事にするかも)

まあ色々あるんですよ。他の退職理由としては単純に「こんなとこでなにしてんだろ自分」とふと我に返ることが増えたからってのがあったり。仕事自体つまらなかったわけではないのですが(だから同じ職種で転職した)、如何せん常に「資本主義の餌食になっている感」は付き纏ってくるし、「楽しい仕事」と「やりがいのある仕事」って微妙に違うよな…って考えるようになったり、何より「あまりにも価値観が合わない人と同じ環境にいるのは自分にとって害でしかない」と思い、いっそのこと全く違う職種で働くのもありかもってなったんですよね。

さて、これからどうするか

てな感じで一旦仕事を辞め、今後の人生について散々頭を悩ませている日々です。「人生のゴールとは何か」とか「どんな仕事がしたいか」とか「可能な限り身の回りを気の合う仲間だけで固めるには」みたいな「もはや一生答えは出ない」であろうこと考え出すとマジでメンタルやられるというか…。

幸い僕には「写真」や「映画鑑賞」といった趣味があります。気を紛らわせられる趣味があって良かった、ほんとに。とはいえ、やっぱり普段働いていると趣味の時間を確保するってのも中々難しいわけで、映画とか頻繁に観れていなかったんですよね。

そんな中、先月あるクィア映画を観ることになります。これが大袈裟とかではなく、今の精神状態もあって心に刺さりまくったので次回はそのお話をしようと思います。

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