才能が乏しいぼくたちは
小説家を目指す同志諸君に伺いたい。
きみには才能があるかい?
おそらく日本人であれば、「才能がある」と答えられる人は、そんなに多くないのではないか。欧米なら違うだろうけど。
ちなみにぼくは、あまり才能がないと思っている。
おっと、才能がないなんて言ったら、世間様から非難轟々だから、才能が乏しいという言い方にしておこう。
ありがたい世間様は、「自信を持たなきゃダメだ!」とか寄ってたかって言ってくるけど、気にする必要はない。あいつらは、条件反射で言っているようなものだ。考えもせずに口に出すような言葉に、どれほど価値があるというのか。
それよりも、自分の才能を一番よくわかっているのは、自分自身のはずだ。才能があるのかないのか、判断できるのは自分だけだ。
もしきみが、「自分には才能がない」と思うのなら、おそらくそれが正解なのだ。
才能がないと判断できたのなら、才能がないなりの戦略を選ぶことができるだろう。
だって、ぼくのように才能が乏しい者が、「才能がある人に適した戦略」を真似しても、うまくいかないんじゃないのか?
そんな愚をおかすよりは、自分に合った戦略をとるべきだろう。
そのためにも、自分に才能があるのかないのか、なるべく冷静かつ客観的に判断するのは(とても難しいことだとは思うけど)大事なことなんじゃなかろうか。
自分はダメだなあ……なんて、思ってもいいんじゃないのか。
問題はそこからだ。
自分はダメだから、やめちゃおう……と思うなら、やめちゃえばいいんだし。誰も困らない。むしろ早めにほかのことをやったほうがいいかもしれない。
自分はダメだから、たいへんだけど長い道のりを進んでいこうか……と思える人は、強いんじゃないかなあ。「おれは才能あるもん。挫折なんかしないもん。ニヤニヤ」なんていう人よりも、よほど強いんじゃないか。自分の弱さを受け入れられる人はさ。
さて、ぼくは(もちろんアマチュアで)小説を書いて何十年にもなるけど、いまだに「キャラが勝手に動く」なんていう現象がわからない。
同志諸君はどうかな?
よく素人がやらかすこととして、キャラクターの意思を考えず、とりあえずプロットどおりにキャラたちには動いてもらう。その結果、キャラたちが操り人形のようになり、感情移入もできなければ、ご都合主義の物語にしか思えないようになってしまう……というのがあるらしい。
まさに、ぼくのやってきたことだ。
これを修正できずに何十年も続けてきたのだから、才能が乏しいのは間違いない。
だからさ、同志諸君。
都度都度、キャラクターと相談しよう。
キャラクターが「わたしはこんな状況でそのような言動はとりませぬ」と言うようだったら、仕方がない。無理に予定どおりの言動をさせない。
でも予定が変わるとどうしても困るのなら、「それならきみは、どんな状況に追い込まれれば、プロットにあるような行動をとってくれるの?」と問いかけてあげよう。
そして、状況を用意してあげよう。
言うは易しだよ。
ぼくなんか、キャラクターと相談しても、なんか本音を答えてくれない気がしたこともあるし。
こういうときは、ぼくがそのキャラのことを、きちんと理解していないのかもしれないね。
それなら理解してあげればいい。
こういったことを、一つ一つやっていくしかないんじゃないかな。
地道にやりましょう。だって、才能が乏しいんだから。