八月の六畳半
「そういえばピアス開けたんですよね」
「え、なんでまた急に。まあ気付いてたけど…」
冷房をかけながら先輩の部屋で二人で床で溶けている日曜の午後。どうでもいい話のラリーをずっと続けていた。これを始めてからもう二時間くらい経つ。
「なんとなく。先輩が片耳だけ長い飾りつけてるのに憧れてたので」
「かわいいとこもあるんだねぇ」
携帯でピクシブを巡回している先輩が、イラストから目を離さずに言う。
絶対思ってないな。
「そういえば、そろそろその先輩呼びやめない?」
「なんで?」
「なんとなくさ。距離遠く感じるじゃん」
先輩がこの二時間の間で初めてこっちを見た。
「そんなことないですよ」
「そうかあ」
そんなことで遠くなるような距離じゃないでしょ、と言おうとしてやめた。先輩は人の言葉を読むのが得意だからそう感じるのかもしれない。
そもそも距離も何もないのだ。
本当に恋人なのかもわからないような付き合い方だし(告白してOKされて、みたいな手順は一応踏んでいる)、手を繋いだことくらいしかないし、週に一回同じ授業で会ってそのあと美術館の常設展を見に行くくらいしかデートっぽいこともしていない。あとはお互いの家でごろごろして、アイス食べて、みたいな。曲がりなりにも半年付き合っているのに、およそカップルと呼べるようなことはしていない気がする。
こういうのをプラトニックって言うんだろうか。
そんなことを考えていると、先輩が突然起き上がって言った。
「ね、僕のこと好き?」
何を言い出すかと思えば普段の先輩からは想像もできないような台詞が飛び出してきて、私は一瞬理解できなかった。
だって確認するようなことでもないし。
「どうしたんですか急に」
「気になったから」
なんか普通の人みたいなこと言うな…。先輩が普通じゃないというわけでもないけど。
「だって君はさ、好きなものになんでも好きって言うでしょ、ベクトルが違っても。だからなんか心配になっちゃって。もしかしたら君が僕を好きなのは、君がゴッホを好きなのと同じ気持ちかもしれないし」
普通の人ではないかもな。
でも突然心配になっちゃったりするとこは人間ぽいかもしれない。そういうところも好きだなと思う。
「ゴッホへの好きとはちょっと違いますね」
「ほんとに?」
「本当ですよ。…どっちかといえば、印象派そのものに抱いてる気持ちと一緒かも」
「えー」
先輩はちょっと不満そうな顔。わかってなさそうなので、説明することにした。
「…私が印象派を好きなのは、理屈じゃなくて、ロジックを組まなくても感覚でいいなと思うからなんですよね。最初は第一印象で一目惚れして、それからその絵の背景を知って、描かれてるものが何を表しているのかを少しずつ知っていって…。先輩のことが好きなのも、つまり、そういうことです」
先輩の方を見ると、満足したような顔で照れていた。なんだその顔、かわいいな。
「…たまには企画展も一緒に行きませんか」
「いいね」
「それで、たまにはかき氷なんかも食べに行きましょう」
「カフェも行ってくれる?」
「先輩が私のこと離さないでいてくれるなら、どこへでも行きますよ」
やった、と小さく声に出して喜ぶ姿が、やっぱりどうしようもなく愛おしいなと思って、口にも出そうになった。言わないけどね。
明日のこととか、将来のこととか、何もわからないけど、こういう日曜日が続けばいいなと思う。暑いのは勘弁してほしいけど。