Case
以前書いたnoteの、補足かつ続編のようなもの。
Creepy Nutsのニューアルバム・『Case』。
このアルバムは、究極なまでに彼らの"今"を詰め込んだアルバムだ。聴いていると、"時間"、というものを意識せずにはいられない。
冒頭の"Lazy Boy"、"バレる!"、"顔役"、"俺より偉い奴"。この4曲は、様々な角度から見た現在のふたりの立ち位置や心境を、幅広すぎるスタイルで描いている。
特に、"顔役"と"俺より偉い奴"はフローもトラックも新鮮で、初めて聴いたときは驚いた。新曲をリリースするたびあっと驚かせてくれる。そんなCreepy Nutsを私は全面的に信頼している。
"風来"は、その現在地を一歩引いた視点で見たような曲。この曲を聴いてどうしても思い出してしまうのは、梅田サイファーの"エピソード"だ。
同じ夕日、同じ月、同じ景色。
恥やプライドを人質に「頑張れ」
寄り添いながらも諭す「甘くはねぇ」
でもSOSにゃ目逸らすだけ
たとえ一人消えたって泣くだけ
週末に向かうchillなムードとは裏腹に、かなりヘビーな曲だと思う。
今作では、こういったトラックとリリックの対称性が意識されているのではないか。たとえば、忙しさを歌う"Lazy Boy"のトラックは、意図的にバカンスを思わせる夏らしい音にしたらしい。DJ松永さんがツイッターのリプライ返信企画で言及していた記憶がある。
さて、続く"のびしろ"で、視点は現在の足元から、目の前に続く未来へと切り替わる。
昨年リリースしたCreepy Nutsのマスターピースである"かつて天才だった俺たちへ"の再解釈とも思える歌詞。
しかし、未来を思った束の間、その目は過去を振り返る。
"デジタルタトゥー"。悔やむ過去。
"15才"。握り潰す過去。
"Bad Orangez"。理解する過去。
"Who am I"。立ち返る過去。
そして、全ての過去を包み込むのが、"土産話"である。
空前絶後の大ブレイクの後、初めて出すフルアルバムのラストにこんな究極の内輪ネタソングを持ってくるのは、正直すごい勇気だと思う。
R-指定さんのMCでの常套句を思い出す。"HIPHOPは私事"。それを実証するかの如く、自分だけ、自分たちだけの話で締めるラスト。
昨年、自粛期間中で思うように活動できない中で完成させた『かつて天才だった俺たちへ』は、Creepy Nuts史上最も「外へ」向いた作品だったと思う。
一方、露出が爆発的に増え、世間に認められる中で作られた『Case』は、Creepy Nuts史上1、2を争うほどに「内へ」向いた作品だ。
実は、私はこのアルバムを聴いたとき、ショックを受けた。
一年前、様々なものを失った世界で、彼らが見せてくれた背中。憧れた生き様。
その姿が、あまりにも遠くに行ってしまったような気がして。
はじめから近くになんていないって、そんなことは端からわかりきっていたのだけれど。
何より、彼らが消し去りたいと歌う"過去"に、私は今なお共感し、縋っている。
もしかして、彼らを苦しめているのは、他でもない私なのではないか。心を抉られるような気持ちになった。
実際、ライブで"15才"と"トレンチコートマフィア"とを並べられたらもうしばらく立ち直れない気がする。
でも、そんな身勝手な葛藤すら照らしてくれるのが、リード曲である"のびしろ"だ。
サボり方も甘え方も逃げ方も言い訳のし方も、まだ何もわからない私だけれど、いつかまたふたりの背中を見れる日が来るのかな。
そんな未来を期待して、見えない姿を追いかけ続けます。これからも。よろしくお願いします。
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