ホタルブクロの雫落ちて- さやのもゆ
五月。今年もまた我が家を囲む細葉の生け垣には、葉影の奥からホタルブクロの茎が細い竿をいくつも差しかけていた-蕾の重みにしなりつつ、日毎に花色を染め上げていきながら。しだいにふくらかな花の形をととのえていく姿を見るにつけ、近いうちに静かに弾けて、花びらの縁をちょっぴりつまんで咲くところを想像しては、その日を心待ちに過ごして迎えた朝であった。
色づき始めた頃の蕾は朱を筋状に差した茜色をしていたのだが、日毎水に晒して染め残るように色を重ねてゆき、花弁の芯から赤紫に昇華して釣り鐘のかたちに咲いていた。蕾の青い頃は、これが花びらに変わるとは思えないほどの厚みを持っていたのだが、今朝あらためてよく見ると、漉き込んだ水を気に送って仕上げた和紙を思わせる質感であり、堅さを感じさせない風合いに折り目良くふくらみをもたせていた。それで思い出したのだが-母は今、折り紙に凝っていて、テレビで動画を見ながらくす玉や器の類いの物を作っている。私が仕事から帰ると、母はその日に出来上がった成果を見せては「折り目がきちんと付いてないと、くぼみとかふくらみのメリハリができないから、フニャフニャするんだよね。」などと呟くのだった。母が苦心して折り紙でつくる造形をよそに、この花は生まれた時から決められた折り目に沿って星形の花帆を張っていくのだ-なんの造作も無く、可憐なフリルの裳裾をアクセントに添えて。この日から、ホタルブクロの朝一番の花を眺めてから仕事に出かけるのが、私の日課であり、母の楽しみとなった。花は日を追って降るように咲いていったもので、私は思わず母に訊ねた。「お母さん、去年はこんなにたくさん咲いたっけ?」すると母は「ううん、去年どころか今年は今までで一番だよ」と答えるではないか。私はにわかに心配になった。こんな事を考えたくはなかったのだが、我が家のホタルブクロのように「今年に限って」花がたくさん蕾をつけて一斉に花開く、というような年に何か辛いことが起こってしまわないかと予見のような危惧を感じてしまったのだ。理由はわかっている。18年前に三ヶ日の祖母が亡くなった時、長男である叔父が通夜に来た町内の方々に対して挨拶をしているなかで、こんな事を言っていたからだ-「母が畑で作る野菜はちっとも美味しくなかったのですが、今年は美味しいのがよう採れました」-この言葉を、その日にまたもや思い出したのである。花が咲いて嬉しくない筈は無い。でも、ほどほどに咲いてくれた方がいい。永遠は望むべくもないが、毎年のように約束を違えず、めぐり来る花々を、一年でも長く母と眺めていたいのだ。
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