#019 人間五年、下天のうちを比ぶれば

 いやぁ1ヶ月間空いてしまいました。ここんところ色んなことに追われてブログの記事の内容を考える余裕がなくなってました。ただの言い訳です、うむ。

 それにしても早いわねほんと。こないだ携帯の話をしたかと思えばあっという間に30日近く経っているだなんて。このブログでも何遍も言っているけれど、時間の流れが急速的に進んでいる気がする。
 「大晦日の『ガキの使いやあらへんで』のロケバスが走ってるとこ見た!」というツイートが流れているのを見て、ああもうそういう時期なのかと知らされる。今年は誰がサプライズで登場するのやら。あと紅白歌合戦もどうなることやら。

 人間の時間感覚には「ジャネーの法則」というものがあるらしい。ある年齢における時間の心理的長さは誕生からの年数に反比例するというやつだ。昔トリビアの泉で紹介されていて、何故か黒柳徹子が妙に喰いついてきたということは記憶している。
 本記事のタイトル元である「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、無限の如くなり」という『敦盛』のワンフレーズは織田信長も演じたことで有名だが、人間の寿命もぐんぐん延びて人生八十年と言われるようになって久しい。
 ここでジャネーの法則に基づいて、ちょっと計算してみよう。人間が80歳になるまでの時間の長さ感覚は生まれて間もない零歳児の何年分に相当するのだろうか。
 4年に一度閏年が入る事を考慮しつつ、各年の日数を誕生からの年数で割ったときの値を足していくと1813.299日。1年=365日とすればこの日数は4.967943年分、約5年しかない。
 これはどういうことか。成人になる20歳までの長さの感覚は1313.746日。率にして72.45%、つまり人生の1/4がようやく経過したかと思いきや、心理的には3/4近くが既に経過したことになる。
 どこで人生の半分になるかというと、これは7年目。小学校1年生の段階である。なんちゅう冗談。もっとも、これはあくまでもジャネーの法則を真に受けた場合である。零歳児の1年が晩年の4日半に相当するのか、というとそれは多分誰にも分からないだろう。まぁ何にせよ、80年という期間というものは長いよーで短いということだけははっきりしている。

 なぜこのように感覚が速くなるのか。そもそもこの法則自体割と有名なのでわざわざ説明するまでもないとは思うのだが、理由としては「新しい体験の数とのかかわりあい」によるものであるとされる。

 生まれたての赤ん坊からすれば、見るもの全てが新しい。部屋の中にそれらがいっぱいあるのだから沢山触れて、そりゃあ退屈もしない。記憶する出来事が多いからこそ1年が長く感じられるということだ。
 そこから一気に新たな出来事として認識される対象が少なくなる。反比例なので当然だが、2年目であっというまにその前の年の半分まで時間の長さが短くなるのである。ジェットコースターのように次第に感覚は加速していき、ついには片手で数える程度までに1年間の記憶すべき想い出が減っていく。勿論、幼い頃にはどうしても出来なかったことを成長によって体験できるようになることもあるだろうが、それでも歳をとるたびに「もうこんな時期なのか、早いなー」と思えるタイミングが前倒しになる。

 大人になるということは、つまらなくなることなのかもしれない―― というのは以前「国際人間観測年」でも述べたことである。社会に出れば、大抵の人というのは基本的に毎日、内容の差はあれど同じか似たようなルーティーンをこなすことを求められる。仕事の中でメリハリをつけることはできても、全体的に見れば些細な変化である。定年になるまで、恐らくはずっとこの状態が続く。そこにはかつてのように新たな体験や出来事も生まれにくい。生きていくために、退屈だろうがなんだろうが歯車を回し続けていかなければならない。子供の頃に比べれば1年の時間計画の差は縮まってきたが、同時に退屈さを加速させる。

 …なんていう風に書いたが、閉塞感が漂うのは大人だけでなく子供にも当てはまるかもしれない。いじめ問題とか、そういった肉体的にも精神的にも辛い日常がずっと続く中では、1日1日の違いが薄れていき、未来らしい未来を想像することさえできなくなる。ただ今日みたいな日が明日もくる。頼みもしないのに同じような朝が来る。あ、これは斉藤和義だ。想い出なんて生まれるわけもなく、ただただ苦しい中を過ごしたという結果だけが残る。
 そう考えると不思議なものだ。つまらない出来事が起きているというのは時間の流れが遅いように感じるのに、昔に比べたら幾分かつまらなくなっているであろう現在、1ヶ月という時間が非常に速く過ぎ去っているかのような感じを覚える。一部を切り取った時と、全体を見た時ではまた捉え方も変わっていくということなのだろうか。

 結局のところ、たとえこの感覚に逆らうことが一時的にできたとしても、根本的な解決にはならないということだ。どうしようもない向きがあるのだから。かと言って、開き直って無為な生活を送るかとなれば、生きるモチベーションが無くなってしまう。
 私は田舎の自動車教習所で免許を取得した。高速道路の教習も受けたが、やはりというか前に見えるのは自然、ネイチャー。そしてたいして変わり映えのしない車の列。目に見える変化が起きにくい。あくびの一つや二つ漏らしたくなるのも分かる。だが一度寝てしまえば事故になりかねない、だから生徒たちはガムを噛んだり、途中のドライブインで休憩したり、音楽をかけるやら同乗者とコミュニケーションを取るやら視線を移して別の景色をみるやらして、運転のマンネリ感を抑える。

 大人になってもそういったエッセンスが必要だ。仕事して食べて寝て、そればかりではすぐにも退屈してしまう。ましてや仕事仕事仕事と他の要素が全くない状態ではただでさえ存在する閉塞感がさらに大きくなり、最終的にどうなることか、あまり考えたくないものである。何でもいい、趣味でも何でもいいから、心のどこかで残るような良い想い出を創るための機会を設けることが必要なのだ。2000日も満たないとされる人生80年が豊かになることだろう。延命はせずとも充足たる、そんな生涯を送れたらとは思う。


 そういうわけで、時間がちょっと空いたので本日noteに新しい記事を投稿しようとなったわけだ。穏やかに晴れた日曜日。でもあともうちょっとで明日がやってくる。幻想的にも映る今に対して「明日は月曜日だよー」というド直球をぶっ叩いてくるあたり、現実というのは全くもって非情である。
 あーあ、明日なんかならなきゃいいのに。エキセントリック少年じゃなくてもそう思うよ本当に。あ、でも密林で予約してるの、今月末ごろに届くんだった。明日が来ないと一生来ない。それは困る。

 何が届くかって? 個人的に楽しむためのゲームである。またゲームの話かよ、と苦言を呈されるかもしれんがいいじゃん別に。好きだもの。

 これ。11/30にPS4から出る『リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議』である。
 あ、何、これを紹介しようとして今回の記事書いたの? と思った貴方は勘が鋭い。半分正解である。

 1月から6月まで放送されていた『リトルウィッチアカデミア』のゲーム化作品である。間違ってもパルフェではない。
 サブタイトルにもあるように、本作は「時間」がひとつのテーマとなっており、夏休み初日の1日がループする状況の中で主人公たちが謎を解き明かしていくという物語になっている。終わらない夏休み…エンドレスエイトかな? と思ったけれど、どうやら内容を見る限りループしているとはいえ結構な変化が起きていそうだ。
 夏休みというのは、アニメで言えば7話と8話の中間あたり。まだまだ主人公が未熟な所を多く抱えつつも成長の兆しが見えて始めている段階において、本編では描かれなかったストーリーがどのように展開していくのか。アニメを制作したTRIGGERではないオリジナルのようだが楽しみである。

 えーと、販売元が「バンダイナムコエンターテインメント」…バンナム。うーむ、バンナムかぁ…バンナムね……と思いきやスクリーンショットや配信動画を見てみると結構力が入っているのに驚かされる。
 調べてみると開発元はエープラスという、2D格ゲーのグラフィックなどを担当している会社であるそうだ。2Dグラフィック中心の会社が3D?とはちょっと思ったけれど登場するキャラクターのモデリングが非常に良い。色んな動きを見せてくれることに期待が持てる。
 ゲームの進行も探索がメインのアドベンチャーとバトルがメインのアクションの2つからなり、予約した段階ではまだ公開されていなかった情報が次々と明らかになるにつれて、なかなかどうして完成度が高そうに見える。うん、これで実際にプレイしたときに「見える」んじゃなくて実際にそうであると言い切れる出来であればいいけれども。とにかく期待しよう。
 ちなみに私は初回生産限定版を予約。恥ずかしながらテレビアニメ版から入った身ではあるが特典が凄く豪華、買い逃したら何か後悔しそうだったのでいちファンとしてポチらせていただきました。ネット界隈では主人公のキャラクターで色々と言われていたけれど、観てハマりさえすればそれらを含めて楽しめる作品だと思うよ。TRIGGERらしくよく動くし。

 夏休み初日というのは終わりを大して気にすることもなく、何も考えずに満喫できる楽しい一日である。彼女たちにはこのままずっと繰り返される状態を維持して、終わらない夏休みをエンジョイする! という選択肢もありそうだが、事件の解決に乗り出している。もっとも無限ループすると一生罰当番をやらされることになって全然エンジョイできない主人公の思惑もあるのだろうが、とにかく彼女達は未来をひたすら目指している。
 どうなるか分からないからこそ、変わってほしいような変わってほしくないようなジレンマに悩まされるけれども、未来に立ちはだかる困難を持ち前の強さで乗り越えていく彼女達のように、これからを生き続けていきたい。

 

 さーて、とりあえず目先の生きがいがあることだし、2017年ももう50日もないけど頑張りましょうかね。荷物が届くまで厄介なタスク終わらせられるといいなぁ。
 って、あ゛。もうこんな時間。うわぁ結構な浪費。
 …ま、たまにはそれもいいのよね。