「他人に興味ないよね」を受け入れたら仕事の仕方が変わった話
こんにちは、某スタートアップでデザイナーをしてます、moyoです。今の会社に来て早1年が経過しようとしています。私はいわゆる1人目のデザイナーで、この1年恐ろしいほど多くの学びがありました。
のですが...笑
ググったらデザイナーの諸先輩方の良質noteがたくさん出てきたので、今日はいたって個人的な目線を書き残そうと思います。人の目に触れる場所に書くことが自分にとっての挑戦でもあるので、どうか優しい目で見守ってください。笑
「他人に興味ないよね」の呪い
思えば大学生くらいから、時々言われるこの言葉に長い間苦しんできました。呪いと書きましたが、この言葉を投げかけてきた人に対する恨みは一切ありません。ただ「他人に興味ないよね」と言われてしまう自分を責めてきました。私はこの言葉を頭の中で勝手に「他人に興味がないのは悪いことだ」と変換してしまっていたのです。そして何より、自分自身は他人に興味があると思っているので、自分と他人の認識の差に動揺していました。
もともと人の言葉を何度も頭の中でリフレクションしてしまう癖があり、「なぜ他人に興味がないと思ったのか」「興味がある人はどんな振る舞いをするのか」をもう何度考えたか分かりません。他人に興味がある人を「いつも楽しげな人」だと解釈して、笑顔でいることを心がけたこともありました。疲れました...。
他人に興味がないのは悪いことではない
どうやらHSP(Highly Sensitive Person)の気があると気づいたのは社会人になってからでした。例えば、他人の言動や感情に影響を受けやすく、相手が怒っていたり辛そうな顔をしてると、どうしていいかわからなくなってしまいます。この性格をうまくコントロールできていないが故に、自分も周りも疲弊させてしまいました。
他人に興味がないのは悪いことではない、と気づけたのは2019年に入ってからです。「自分にしか興味ないんだよね」「他人にあまり興味がなくて...」とはっきり自己紹介してくる人が自分の周りに急に増え始めたのです。私の目から落ちた鱗は数え切れません。しかもその人たちはこぞって、私の目から見ると悪い人ではありませんでした。むしろいい人で、付き合いやすい人ばかり。「他人に興味がない」という1フレーズにいかに囚われすぎていることに、ようやく気づきました。
「他人に興味ないよね」を受け流す
とはいえ私自身は他人に興味あると思っていて、人の話を聞くのも大好きです。一体なぜ「他人に興味がない」と言われるのか、今もよく分かっていません。でもその人がそう思うなら、そうなのでしょう。変に拡大解釈して相手や自分を傷つけるくらいなら、受け流す。気にしなくていい。他人に興味を持つ方法を検索するよりも、そちらの方がずっと自分に必要なことでした。
生活、仕事の変化
人からの言葉を真正面から受け取らないように気をつけ始めてから、少しずつ変化が現れてきました。正直、気心の知れた人以外と話すときは緊張状態だったのですが、今はあまり気になりません。人と話すのが楽になりました。笑 追随するように仕事の仕方も変わって、"作るべきもの"に集中できている感覚があります。
きっと人から見たら、小さな変化なのでしょう。書いていてそう思います。それでも、人の目に触れる場所に書くことが、自分に必要なことだと思うから書きました。次のnoteは、デザインに関することにしようと思います。笑