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「お金を稼ぐ=私に価値がある」を手放したら、呼吸が楽になった

2024年2月に書いていた下書きを公開します(現在は2025年2月)
当時は、日本在住で、夫の海外駐在がほぼ決まりかけていたフリーランスでした。
現在はメキシコ在住のライフコーチ、プライベートは駐妻で1児の母です。

この1年で環境も価値観もすごく変わり、以下の文章を書いていた時の自分を思い出すと「こんなこともあったなあ」と懐かしく思います。
今はまた別のお金に関する価値観と向き合っている最中なのですが、その前置きとして今更ですが公開してみます。

フリーランスになってもうすぐ1年、ずっとうまくいっていたわけではなくて、葛藤や失敗もあった。
もう少しかみ砕くと、自分のありたい姿と現実の間でのバランスの取り方が難しかった。例えば、もっと娘との時間が取りたいのに、仕事が立て込んでしまったり、反対にもっと稼ぎたいのに、ままならなかったり。

そして、家計に会社員の時ほど貢献できていない自分を責めたり、
夫に対して申し訳なく思ったりして、
心がずっとざわざわ、モヤモヤしていた。

そんなことをメンタルトレーニング(コーチング)の先生に話したら、

「きっと自分で自分を苦しめていますね」と。

その後に続いたのがタイトルにも使った言葉。
コーチからのこの一言で、はっとした。

「お金を稼ぐ=人の価値がある、ではないですよ」

あまりに核心をつく問いで、心が緩んで涙がこぼれた。
それは、
「ああそうか、そう思わなくていいんだ」と
ホッとしたから出た涙だった。

私はきっと「お金を稼ぐ=自分に価値がある」と思うことで、
自分を奮い立たせてきた。
就職のときも、独身時代に仕事に打ち込むときも、
産後8カ月で復職して時短ではなく、フルタイムで踏ん張っていたときも。

なぜなら、お金を稼げることが、社会のなかで、家庭で、女性として生きるうえで、権利を保持することだと思っていたから。

女性活躍とか社会進出とかいうけれど、別にこれまで女性たちが社会にいなかったわけでも、活躍してなかったわけでもない。
でも、雇用されていないというだけで、育児や家事や介護をしていたにも関わらず、女性は「活躍」してなかったことにされてしまう。

そんな社会のなかで、私は「お金を稼ぐ=価値がある=権利がある」、
「権利を持ち続けるためには稼ぎ続けなければならない」
「バリキャリでいたら、誰にも水を差されない」と、
ある意味、強迫観念に近い形で、思い込んでいたのだと思う。

自分の奥底に眠っていた気持ちや、
そう思うようになったきっかけ(私の場合は、母の姿)を認識することで、
勝手に自分をギュウギュウと締め上げている状態からは
少し楽になった気がしました。

稼ぐことを諦めたら、自分が自分でいられなくなると思い込んでいた。自分の幸せは自分で決めていい。
仕事にバリバリ取り組むことも、稼ぐことも素晴らしいことではあるけれど、それができないからといって人としてのあなたの価値が下がるわけじゃ絶対ないから。

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