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ジョージア、天国に一番近い国(13)あちら側とこちら側【トビリシ】

 続きです。



 バスはトビリシに17時に到着した。本当は19時に到着する予定だったはずだし、2時間も早く着くならシグナギはもっとゆっくり見られたのでは……なんて思ったが、まあ考えても仕方ない。とにかく降ってわいたこの2時間を楽しむことが優先だ。

 トビリシで時間があったらやりたいことがいくつかあった。まず、初日に訪れたツミンダ・サメバ教会に再訪すること。10日間ジョージアで過ごして、やっぱり一番好きな教会だと思ったし、最終日にもう一度その教会で時間を過ごすというのは、なんというか、結構センスのいいアイディアであるような気がした。
 ツアーの解散場所から教会はは歩いて20分くらいだった。何度も通った道だから、地図を見なくたって行けた。そういう場所が、ジョージアという遠く離れた国にできたことに、ささやかな誇らしさを覚えた。

 夕暮れのツミンダ・サメバ教会は、10日前と変わらず堂々としていた。自分が、トビリシという街を、ひいてはジョージアという都市を支えてきた、そういう感じだった。
 初日は朝早く来たので誰もいなかったが、その日は夕方だったので結構人がいて、かなりにぎやかだった。ジョージアではクリスマスが1月7日(旧暦)なので、1月6日の今日はクリスマス・イブだ。だからなのか、教会内には、たいそう立派なカメラが何台か設置されていた。クリスマスの瞬間を放送するのだろうか。温かな食事とワインでそれらの放送を眺めるジョージアの一般家庭を私は妄想した。

 地下聖堂をもう一度見たくて、物陰にある階段からこっそり地下に降りる。地下聖堂の存在はあまり知られていないのか、人がほとんどいなかった。時間が遅くて閉まり際だったせいもあるかもしれない。地上ではあまり聞こえなかったが、遠くからお祈りの声がしていた。

途中で寄ってみたリケパーク

 教会を出て、呼んでおいたBoltに乗り込んだ。もう一つやりたかったことが、ジョージア在住の日本人ガイドであるゾノさんに勧められた、お茶の専門店に行くことだった。
 ジョージアは、あまり外でお茶を飲む人を見かけない。ほとんどの人が、きついエスプレッソをまるでウォッカのショットみたいなカップで飲んでいる。ところが、実は家の中ではみんなお茶を飲んでいるらしいのだ。そんな文化を支えるローカルなお茶っ葉専門店、絶対に行きたいに決まっている。
 旅の前半で一度来店したのだが、そのときは臨時休業していて入れなかった。まあ、こういうのはよくあることだ。事前に連絡をすれば開けてくれるのだろうけど、そこまでするのはなんとなく私の主義に反することだった。流れに身をまかせて訪れて、閉まっていたらご縁がなかったということなのだ。それがいいのだと思う。

 お店の前にたどり着くと、運よく営業中の札がかかっていた。アンティークな雰囲気たっぷりの扉を開く。
 店内は特段首をひねらずとも全部を見渡せるくらいの小さな部屋で、お茶の香りがいっぱいに詰まっていた。全体として少し暗めのオレンジ色の照明だったから、なんだか不思議な洞窟に迷い込んでしまったみたいだった。
 右側の壁には何やら古めかしいパッケージの箱(お茶の包装紙みたいだった)がならべられ、左側には瓶に入ったお茶たちが美術品のように厳粛にたたずんでいる。一つ一つが一定の信念に従って丁寧に選び取られ、並べられているという感じだった。
 部屋の奥には小ぶりだが重厚なテーブル(ものが置かれすぎて全体像はよくわからない)が置かれており、店主が――想像よりずいぶん若い――まるで陳列物の一つみたいにゆったりとお茶を飲んでいた。テーブルの上にある、見慣れた笑顔の戎さんの置物がひときわ目を引いた。たっぷりと蓄えられた脂肪の上にコインがしこたまため込まれていた。
 全然知らないけれどなんだか懐かしい、不思議な空間だった。

 クリスマスイブの夜にふらっと現れた小汚い日本人なんてほとんど珍獣みたいなものだと思うのだが、彼はそんなことおくびにも出さず、にっこりとほほ笑んだ。私がたどたどしい英語で、ゾノさんに紹介されてきたのだというと、彼の笑顔には少しばかり親密な色がさした。
 彼は、壁に飾られたお茶のパッケージを一つ一つ手に取って説明してくれた。旧ソ連時代のパッケージや、彼がお茶を学んだ中国の古いパッケージなんかを。箱だけの展示かと思っていたのだが、中にはお茶の葉っぱが入っていて、まさに熟成させている途中らしい。一体何年間そこで眠り続けているのだろう。

 瓶に詰められたお茶は、好きなようにブレンドして購入することができるのだそうだ。これは朝用で、これは夜用、これは白茶、リラックスにいいよ。彼は数々のお茶の葉っぱをまるで国歌を諳んじるようにすらすらと説明した。お茶は好きだが詳しくない。きっとこの話を聞いたらよだれを垂らして喜びそうな友人は何人か容易に思いつくのだが。
 たくさんのお茶の中から、野生のリンゴのお茶と、ブルーベリーの葉っぱを使った紅茶を選んだ。どちらもジョージアでしか飲めないものだという。

 店主は、おそらく何千回も繰り返してきたであろう手つきで、私に白茶を入れてくれた。手慣れてはいるけれど、丁寧で繊細だった。何度もお湯を入れなおして温度を調整し、ポットにお湯を入れて左右に振って温め、適切にお茶を蒸らした。まるで音楽を奏でているかのようなしなやかな手つきに思わず魅入ってしまう。
 そのようにしてお茶を入れながら、店主はジョージアの暮らしについて話してくれた。そして同時に、彼の控えめで静謐な山奥での暮らしについても話してくれた。トビリシ中心部から20分ほど山を登った一軒家に暮らしているのだそうだ。どうしてそんな不便なところに住んでいるのかと聞くと、庭が欲しかったんだと彼ははにかんだ。自然さを欠かない程度に乱雑に、けれどよく整えられた小さな庭で(もちろんたくさんのアンティーク小物が置かれている)、ポットにお湯を入れている彼の姿がありありと目に浮かんだ。


 この後は早めにお店を閉めて、クリスマスイブの夜を友人たちと過ごすのだそうだ。あまり長居しては申し訳ないので、いい夜を、と告げてお店を後にする。

 私は私でやることがあった。
 そう、温泉である。

 以前書いたかもしれないが、トビリシとは「温かい」という意味である。温泉が有名な場所なのだ。温泉が集まるエリア、アバノトゥバニ地区に向かう。私はその中でも一際目立つ、モスク風の建物が美しい「Sulfur Baths」を予約していた。ウキウキでBoltに乗って向かい、受付をする。--ところが。

 「予約がありません」受付の女性は機械的に述べた。そんなはずはない。インターネットから一昨日くらいに予約したはずだ。私は予約したウェブページを開いた。そして絶句した。
 案の定というかなんというか、日付が間違っていたのだ。なんてこった。最終日でこんなことをやらかしてしまうとは。

 安くはない料金だったが、80%くらいは返金してもらえるとのことで、そちらを受け取ってすごすご帰ろうとした私に、受付の女性は幾分か同情の色を含んだ声色で言った。「同じ値段でマッサージを受けることもできますが」

 正直全然トビリシとは関係がない提案だ。とはいえ、ここまできてこの建物の中に入ることができないのも悔しい。せっかくなので受けて帰ることにした。

 オイルマッサージで、全裸で受けることになり大変戸惑った。海外のマッサージってしばしば全裸になるよな。結構抵抗あるもんだと思うのだけど。紙ショーツとかくれてもいいのではないだろうか。マッサージは結構気持ちよかった。私が気持ち良さのあまりしばしば呻くので、マッサージをしてくれた女性はおかしそうにくすくす笑っていた。普通は声は出ないらしい。そうなんだ。

 シャワーを浴び、少しお腹が空いたので、近場で気になっていたレストラン「Safiko」に向かった。アジカソースというジョージアのソースでいただくポークステーキをオーダーしたが、脂があまりにすごくて食べきれず、テイクアウトした。ジョージアのいいところは、量が多いけれど、たいていの店がテイクアウトに対応してくれるところだ。

立派な外観
またワイン
美味しかったけど食べきれず


 そしてその足で、何度も通ったUZU HOUSEに向かう。予定よりすっかり遅くなってしまったので、どでかいプラスチックボトルに入ったビールを買っていった(旧ソ連国あるあるらしい)。
 UZU HOUSEにはもはや見慣れたメンバーが集っていた。みんなでビールを飲み、テイクアウトしたポークステーキを照り焼き風の味付けにリメイクして食べる。そこから、日本人仲間が経営しているという日本風居酒屋「キッチン梵」に移動した。みんな酩酊状態で、肩を組んで歌って踊った。窓の外のヨーロッパ風の街並みを除けば、歌舞伎町みたいなもんだった。

もはやホーム


 店内に流れる激しい音楽の中で、誰かが私に「早くこっち側においでよ」と言った。

 仕事の都合で沖縄に通い始めた2020年から、何度もあちこちで言われた言葉だ。あちら側とこちら側。そしてそれは、私自身もなんとなく予感していることだった。自分がこれまで生きて、今いる世界への、ひどく曖昧で漠然とした違和感は、少しずつ確実に大きくなっていた。今この瞬間も。

 けれど結局、私はまだ行動していない。それは怠慢かもしれない。何かしら動いたほうがいいのかもしれない。気づいたときは手遅れになっているかもしれない。もういい年齢だ。同級生はほとんど結婚したり、子供を産んだりしている。社会にコミットしている。私はずっと仮定的に生きていると思う。決めきれない世界観で生きている感じがする。
 コミットするにせよしないにせよ、それはどこかで私が決定しなくてはならないのだろうと思う。
 けれど私は、ほとんど宗教的に、必要な時に必要なことが起こると信じていた。起こるべきことが起き、決めるべき時がきたら、自分は決められると信じている。
 だから今は、このかりそめの世界で、何一つ決定せず、ただ触れたい世界に触れて、生きていこうと思う。


 翌朝8時に目覚ましで起きた。後半は全然記憶がないけれど、ちゃんと目覚ましをかけて寝ていたようだ。素晴らしい。
 Boltを呼んで空港に向かう。
 トビリシ空港は小さいので、すぐに搭乗手続きは終わった。

 この時期のジョージアに来ることはもう二度とないかもしれないと思った。その一方で、またすぐ来るような気もした。
 世界は広く、時間は有限で、見たいものを全て見ることはほとんど不可能だ。それでも少しずつ、私は私の直感を信じて、ありたいようにあろうと思った。

 さあ、次はどこに行こう。

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