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隣駅を旅する

 私は旅が好きだ。旅、などとかっこつけて表現したのには、実にささやかなこだわりがある。本題に入る前に、私にとっての、旅行と旅の違いについて書きたい。
 私にとっての旅行とは、目的地について調べ、行きたい場所を決め、泊まる宿を決め、きちんと計画通りに物事を実行するものであり、旅とは、ある程度事前に決めたとしても、その時その日の気持ちのまま、自由に計画を変えるものだ。旅行の方がどちらかというと計画的で、人と行くものというイメージがある。旅とは、事前に調べたことをどこまでひっくり返せるかを楽しむ、あるいは何も調べず、その時の自分の気持ちを楽しむものである。
もちろん、旅行も楽しいし、大好きだ。だが、旅の「何が起こるかわからない感」は、日常で決して味わえないもので、これが実に病みつきになる感覚なのである。そういうわけで、私は1人でどこか遠くに行くとき、あまり何も調べずに、あるいは調べたことにこだわらずに行動するようにしている。
ちなみに、一人旅といってもタイプがあって、旅の移動から食事から宿泊まで終始1人で行動する狼的一人旅をするタイプと、出発時は1人でも行く先々で人と仲良くなることで常に人と行動する鹿的一人旅タイプがいる。私は完全に後者のタイプで、一人旅といいつつ、行った先でめちゃくちゃ友達を作って帰ってくるようにしている。そうすることで、その場所にもう一度行くのが楽しみになるし、新しい行きたい場所もできるし、何より、他人との交流が一番「何が起こるかわからない」ので面白いからだ。

 さて、本題に入ろう。これまで、私はこの「何が起こるかわからない感」を味わうには、知らない土地を旅する以外の選択肢がないと思っていた。仕事というものは、「何が起こるかわからない」ことをリスクと呼び、できる限り回避するように心がけるものである(当然だが)。また日常生活においては、勝手知ったる友人と、やれ新宿だの、やれ渋谷だの、選択肢が多くてアクセスのよい街で、行ったことのないお店を開拓するくらいがせいぜいであり、このときのワクワク感が、初めて訪れる離島の港に降り立った瞬間の風に勝ることは、はっきりいって一度もなかった。

 ところが、である。私は、先日ついに、日常生活において「ジェネリック 何が起こるかわからない感」を味わうことに成功したので、ぜひみなさんにお知らせしたい。

以前の記事に書いたとおり、私は引っ越しにとり憑かれた悲しき引っ越し妖怪なので、3月末の更新時期には延期した引っ越しについて、あきらめきれずに再度検討を始めている。今住んでいるところは板橋区の外れで、川を渡ったらすぐに埼玉みたいな立地なので、実はかねがね「埼玉でいいんじゃないか」説があった。そこで、引っ越し繁忙期が一区切りついたこの時期に、改めて腰を据えて物件を見たところ、やはり埼玉は家賃の万の位ががくんと下がるわりに、都内からのアクセスも悪くなく、物件のグレードが高かった。そこでついに一念発起し、埼玉を検索条件に加えたのである。
 埼玉のことについて、皆さんはどの程度ご存じだろうか。もちろん埼玉出身の方はよく知っておられるだろうが、神奈川で生まれ育ち、東京で社会人をしている私は、すぐ近くにあるのに、本当にちっとも埼玉のことを知らなかった。行ったことがあるのは大宮とさいたま新都心くらいで、他に知っている場所といえば、大宮に並ぶ街である(らしい)浦和、埼玉ディスり映画で「与野は黙ってろ!」と怒られていたのがなんかツボだった与野、小江戸だか小京都だかで売り出し中の川越、悪魔的に暑いと評判の熊谷くらいだ。
そんなわけで私は最近、朝から電車で30分くらいで行ける未知の駅に降り立ち、名前だけ知っている土地をぶらぶらと歩き、ワクワクするほど広い物件をじっくりと内見して(埼玉では、東京より1万円安い家賃で40㎡近い家に住むことができる)新生活を妄想し、小腹が空いたところで、それなりに美味しそうだが混雑していなくて、店員が親切なカフェでランチと食後のコーヒーを飲み、パソコンをカタカタと打つ、という休日を送っている。
そして、ある日のランチで食べたフィッシュフライのタルタルソースが衝撃的に美味しかったとき、強烈な感覚が降ってきた。
 旅だ。私がやっているのはまさに旅なのだと、そのタルタルソースを食べた瞬間なぜか思った。内見を仲介した不動産の営業担当が、他人の家の前に路駐したのを怒られているところに巻き込まれること。全然知らない商店街のコロッケ屋がなんだか繁盛していない理由を妄想すること。道を歩くレインコートを着たゴールデンレトリーバーに癒されること。公園の緑の豊かさに目を細めること。下調べしないで行ったカフェでランチをして、そこのタルタルソースがしびれるほどおいしいこと。そこの店主が、長居する客にもとんでもなく親切で、優しい気持ちになること。
 ずいぶん長いこと気づかなかったけれど、こうして知らない街にきて、住むつもりで歩いてみることで、ジェネリック旅が味わえるのだ。人と話すのも歩くのも好きだが基本的には出不精で、何もなければ家から出ないのだが、今更ながら1人で近場をうろつくことの面白さを発見してしまった。自慢じゃないが、夫も子もいなければ両親ともに健康体という、実に身軽な身の上である。積極的に知らない街をぶらついて、住みたくなる場所を探したいと改めて思ったのであった。
 次はどの街を探検しようか。路線図を広げて考えてみようと思う。

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