僕らは具体と抽象に悩まされる
僕は抽象化人間です。
以前までその抽象化の解像度も低かったと思います。
"以前まで" と言いましたが、嘘です。
もしかすると今も抽象化の解像度は低いのかもしれません。
ただ、気付いてはいます。
気付いていれば、意識ができます。
意識ができれば、自分を振り返れるのです。
これに対して僕の彼女は具体化人間。
超具体化人間。
なのでよく喧嘩をします。
話していて具体性がないと言われます。
彼女は社会人で僕はフリーター。
社会に求められるものは具体性みたいです。
前まで僕は「なんでそんなに怒られなきゃならないんだろう?」と思っていました。
人の感性(センス)の違いだろう、と。
これは間違いではないのですが、正解とも言えません。
『人の頭の中は伝わらない』
当たり前のようですが、なかなか実感を得にくいです。
当たり前の事ほど、灯台下暗し。
例えば、僕が頭の中にりんごを思い浮かべているとします。
それをあなたに伝えたくて僕は
「今りんごを思い浮かべているんだ」
と言ったとしましょう。
パッと見ると想いを伝えてるように見えます。
しかしどんなりんごでしょう?
そもそもりんご?リンゴ?RINGO?
Apple?甘い?酸っぱい?腐ってる?
分かりますか?自分が思い描いている100%のりんごは相手には伝わりません。
これが解像度の違いだと思います。
この解像度をなるべく合わせるために具体性が必要なんですね。
自分の想いを伝えるというのは自分の視点からみた世界を共有するという事です。
解像度を合わせるために共通解が必須となってきます。
ここでいう共通解とは、ファクト(事実)。
cmや%などの常識的な単位、数字がこれに当たると思います。賞なども同じく。
よく「話の中に数字を組み込むと説得力が増す」なんて話を聞きますが、そういう事なんですね。
参考文献、情報元などもそうでしょう。
しかし、海外の〜州の〜大学と言われてもどこなのかピンときません。
ホリエモンが東大、京大以外は意味がないというのはそういう事でしょう。
誰もが知っていて、誰もが凄いと思っている。説得力の証明書のようなもの。
就活に学歴が必要なの理由がわかりました。
ここまで聞くと、具体性だけが重要かと思うかもしれませんが、そうとも言い切れません。
抽象化は想像と創造する上で必要なスキルです。
結局、どちらも必要なんですね。
自身に重要なのは抽象化、相手が求めるのは具体性と言ったところでしょうか。
抽象化=過程
具体化=結果
相手がジャッジできるのは結果だけです。
だってそれしか可視化できないから。
わからないのです。
どれだけ自分の中に強く燃えたぎった想いを秘めていても、伝えなくては、形にしなくては、表面に出さなくては、伝わらないのです。
なんだか悲しい絶望ですが、これが事実です。
僕も前まで頑張っていれば伝わると思い込んでいたジャンプ脳でしたが、気づかされました。
少年ジャンプという冊子、形にして発信しなくては読み手は存在し得ません。
過程(ストーリー)なんて誰にも見えないんです。
だから形にすること、そして人の目に晒すこと(発信)
これを意識する様になりました。
人の目に晒す事は怖いです。
特に僕は繊細な性格なので、何か言われたらすぐ傷つきます。
ただここでもう一つ当たり前のことを言いましょう。
誰もあなたに興味がないという事。
世界は意外と見てないです。
僕が駅で踊っていたとしましょう。
通り過ぎる人の目には止まります(止まらないこともあります)、でもその人が家に着いた頃にはもう自分の事など忘れて家でお酒でも飲んでいるでしょう。
余程、何かを感動させない限り興味なんて抱かないんです。
情報に溢れるこの社会だから。
だからみんな必死に毎日投稿して目に触れる機会を増やしているんです。
一瞬の奪い合いで、時にはイリーガルな方法で目を惹こうとする人もいるでしょう。
そんな社会に飽きがきて、どんどんとスクロールをしていんじゃないですか?
早送りしていくんじゃないんでしょうか?
僕の人生は早送りさせて終わらせたくないです。スクロールしてすぐ終了させたくないです。
だから残します。
残すための方法や考えをインプットします。
だから学ぶんです。
自分の信念は
「人の感情を揺さぶること、そして記憶に残ること」
総発信時代で5G、テクノロジーが発展するほど情報は埋もれるでしょう。
でも同時に発信することにビビる必要はないんです。
どうせ埋もれるのだから。
これはアウトプットを含めた、自分へ送る文章です。数打ちゃ当たる時もあります。
最後まで読んでくださった方はありがとうございます。
こんな文に興味を持ってくれた事に感謝です。
LOVE✌️ありがとう。
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