〜一般教養基礎・車種〜 2025/02/22

 車が好きな人はどれだけいるだろうか。偏見だけれど、都会暮らしよりは田舎暮らしの方が、女性よりは男性の方が車が好きな人の割合が高い気がする。

 私は田舎暮らしの男だが、車が好きではない。自らの偏見に逆行する人間だ。車が好きではないというより車を知らないといった方が合っているかもしれない。

 自分の周りだけかもしれないけれど、車に関する知識って一般教養になりすぎていると思う。社会生活を送っている以上、車に関する知識はある程度持っているのが常識という考えが広まっていると、私は思う。

 車に関する知識、特に車の種類、『車種』に関する知識は持っていて当たり前だという風潮がある。

 例えば、道路を走っている車を見た時、「あのN-BOXの色可愛いね」とか「あのAQUA、運転が荒いね」とか「あのハイエース、大きいね」とかいう会話をすることがある。こういう会話は自然に行われている。

 おかしくないだろうか。なんで車種を言うの?

 「白い車」とか「黄色の車」とか言えばいいのに、人は何故か車種を言う。私の周りだけかもしれないけれど、道ゆく車の車種は知っていて当然という認識で会話が進められる。

 私は車のことを全然知らないので、「AQUAって、どの車?」と聞いたり自分で調べたりする。その度に、車種を知っていることってそこまで常識なのだろうかと疑問に思う。

 車が好きな人ならまだしも、別にそうでもない人も車種の名前は知っている場合が多い。なんでだろう。

 自分的には、車を車種で呼ぶのは、飲食店のお皿を指して「この美濃焼きのお皿さぁ」とか、ホテルのタオルを見て「かっこいい今治タオルだね」とか、電線に止まっているカラスを見て「あのハシボソガラス、何かを狙ってそう」とか言うくらい不自然だ。

 間違ったことを言っているわけじゃないけれど、会話における具体性が不自然というか、会話上必要のない固有名詞・専門性を入れているような気がする。

 N-BOXとかAQUAとかハイエースとかポルシェとかスウィフトとかノアとかボクシーとか、どれも具体的な固有名詞だ。会話において必要とは思えないけれど、知っていることが常識のように話が進む。

 これは私の知識が足りないだけなのだろうか。普通に生きてきて、そんなに車に対して関心を持つことがなかったのだけれど、他の人はそんなことないのだろうか。

 車、とりわけ車種に関する知識。どこまで必要なのか。車を見るたび少し不安になる。


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