甲子園の異常性について考える
『甲子園』
それは全高校球児たちが目指す、夢の場所。
多分そんな感じだと思う。スポーツを全然見ないから合ってるか分からないけど、野球の高校生全国大会=甲子園だと思ってる。『甲子園』っていう会場で行われるからそう呼ばれていると認識している。
そんな野球と甲子園について全く知識を持ってない僕は思う。
『甲子園』って言葉、使われ過ぎじゃない?
甲子園って、野球が行われる場所で、”全国の野球少年が”目指す場所ですよね? 甲子園=野球をする場所で合ってますよね?
それなのに野球以外の場所で甲子園って使われ過ぎじゃないですか?
なんか『高校生の全国大会=甲子園』って使われ方してません?
例えば、
『ディベート甲子園』
これは全国中学・高校ディベート選手権とも言って、その名の通り全国の中学校と高校を対象に競技ディベートの日本一を決める大会。野球は関係ない。
『小説甲子園』
これは集英社が企画している高校生を対象とした小説のコンテスト。野球は関係ない。
『激闘!ラップ甲子園』
これは10代を対象にしたラップバトルの大会、ソニーミュージックが協力しているらしい。野球は関係ない。
『フラガールズ甲子園』
これはフラダンスの高校生競技外界。野球は関係ない。
これらはただの一例です、氷山の一角にすぎません。
なんで甲子園で開催もしない、野球なんて一切関係ない大会にこんなに『甲子園』という名前がついているのか。誰も疑問に思いませんか。
野球しかやってない場所の名前がつけられているのおかしくないですか。
普通に『高校生全国大会』にすればいいものを、なぜ『甲子園』という名前をつけるのか。確かに野球は人気のスポーツで高校野球のファンも多いけど、だからといって野球を神聖化しすぎではありませんか?
彼ら彼女らは一生懸命小説書いたりフラダンスしたりしてるんだよ。野球なんてやってないんだよ。
みんなそれぞれ頑張ってるはず。野球じゃなくてもスポーツじゃなくても高校生で全国目指して頑張ってる人はたくさんいて、その人たちのためにそれぞれの大会があるはずなのに、なんでみんな野球をする場所の名前をつけてしまうのか。そこになんの抵抗もないのか。それを世に問いたい。
漫才の大会で『M-1』というものがある。恐らく全ての漫才師がそこを目指し、切磋琢磨して見事王者に輝いた人は『今年の1番面白い漫才師』という称号を手にできる。その界隈の人間が目指す場所という意味では甲子園と同じ立ち位置の大会だ。じゃあ、全ての大会がM-1になぞらえた名前だったらどうだろう。
バレーボールM-1(バレーボール全国大会)
バスケットボールM-1(バスケットボール全国大会)
パティシエM-1(パティシエ全国大会)
野球M-1(野球全国大会)
絶対おかしいでしょ。
「なんでもかんでもM-1ってつけるな!」
「漫才じゃないのにM-1ってどういうことだ!」
っていう意見が出ると思います。でも、全く同じことが起きてるのに何故誰も違和感を覚えないんだ。甲子園でやってるのなんて野球だけなのに、なんで高校生がやってるだけで甲子園って名前をつけるんだ。
この原因には野球の人気にあると思う。野球が人気だから高校野球も人気でみんなの中で無意識に野球の位が上がって、
「まぁ、高校生がやるんだったら甲子園かぁ」
っていう意識が芽生えてしまってるんだと思う。
でも、今一度考えて欲しい。野球の地位ってそんなに上か?
もちろん大人気スポーツではあるかもしれない。昔は少年ならこぞってキャッチボールをして野球に一切触れない人生なんてあり得なかったのかもしれない。しかし、現在、子供はみんなこぞって野球をしているか? 大人はみんな野球が好きか?
答えはNOです。別にみんなが野球を好きなわけじゃないし、1試合を最初から最後までちゃんと見るという経験がある人も減っているでしょう。僕も見たことありません。
それなのに、『高校生大会=甲子園』という価値観だけが残ってしまっている。頑張ってる高校生はみんな野球と結び付けられてしまっている。
これは異常なことではないか?
別にみんな野球が好きなわけじゃないよ、甲子園だって野球以外で使われてるの見たことないし、全国大会という一握りの人間しか参加できない大会に野球しかやってない場所の名前つけるのおこがましすぎるだろ。
みんなで甲子園という名前の乱用と野球の神聖化をなくしていこう。
凝り固まった価値観をほぐしていこう。これからの若者はそういうことをしていかなければならない。
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