〜生きているだけで恥ずかしい人〜 2024/07/24

今日は映画を観に行った『デッドプール&ウルヴァリン』。とても面白かったです。もうめちゃくちゃ! って感じ。面白い!っていうよりめちゃくちゃ!って感じ。

そんなことより、今日映画終わって駐車場で見た人たちがすごかった。何がすごかったかと言うと、『田舎のヤンキー』を絵に描いたような人たちがいた。

まず、僕が駐車場で迎えを待ってたら遠くから下品な笑い声とドタドタとした足音が聞こえてきた。その音と共に、18〜20くらいに見える男が4人ほど走ってくる。いい歳をしてショッピングモールの駐車場で鬼ごっこに興じているらしくこの暑い中をハアハアと息を切らしながら走り、他人の車の後ろに隠れたりしている。そして、鬼ごっこを唐突に終え、階段の下の地べたに座り込む。

さらに、あろうことか男のうちの1人はお腹を丸出しにして仰向けに寝転がり始めた。もちろんここは人の目がある駐車場であり、彼が寝転がっている場所は横断歩道の上だ。そして、座っていた男は何故か近くにあった緑色のカラーコーンを倒し、それをそのままにして雑談を始めていた。意図的に倒したのか、たまたま倒したのかは定かではないが、彼の横には彼に倒されたカラーコーンが転がったままだ。

そして、彼らの愚行はそれだけに留まらず、タバコを吸い始めた。再三言うが、ここは駐車場であり、喫煙所ではない。タバコを吸いながら大声で雑談に興じる彼らのうちの1人はレシートのような紙切れを放り投げた。カラーコーンと同じように彼らは自分での手から離れたその紙切れに対し何の行動も起こさず放置した。彼らは眼もしくは頭の性能が著しく低下していてゴミ箱と駐車場の区別がつかないのかもしれない。そんなに身体の機能が劣化しているのならば、駐車場を自分に与えられた子供部屋のように扱っている場合ではない。今すぐ然るべき病院に行くか、自分の家から一歩も外に出ないべきだ。

そんな彼らは日本語を話すこととタバコに火をつけることだけはできるらしく、それらの動作は実にスムーズだった。もちろん、会話のレベルが高いわけではなく、ただ母国語を数メートル離れた自分にまで届く音量で話せているだけだ。

こんな絵に描いたような人間がいるんだなぁと思う。愚かな人類について学ぶ者がいるとしたら彼らの行動はこの上ない学習教材になるだろう。

彼らを見て僕が最初に思ったことは「恥ずかしい」だ。こんなにも恥ずかしい人たちはいないと思った。見た目だけは成長し切っている、多少芋臭い見た目ではあったが生き物として成体になっている見た目だった。

しかし、その行動は幼稚そのものだった。自室と駐車場の区別がつかずに物を散らかし、喫煙所と駐車場の区別がつかずにタバコをふかし、自分達しかいない空間と他者も存在する空間の区別がつかずに大声で喚き散らす。彼らの程度の低い会話は「話す」というより「喚く」と言った方が正しいような気がする。

幼児でさえ、躾ければ自室を片付けることぐらい少しはできるというのに彼らは自室の何倍も広い駐車場をまるで自分の所有物のように扱っている。普通の人間にはできないことだ。もちろん、やろうとする人もいないだろうが。

彼らはあの瞬間、恐らく生きてるだけだが、『生きてるだけ』なのにあんなに恥ずかしいと思わせることができる人間なんて中々いない。中々いないが、希少価値なんてものはつかず、今すぐ排除するべき存在だ。

せっかく良い映画を観たのに、その映画の直後に嫌なものを見てしまった。彼らを見たからって気分がゲンナリする程でもないが、なんとなく気分は悪い。道を歩いていたらポイ捨てされた空き缶を見た時くらいのちょっとした気分の悪さだ。

彼らの人間としての格はポイ捨てされた空き缶と同程度だと、僕は思う。あの空き缶たちにはなるべく人と関わらずひっそりと暮らしてほしいと思う。彼らが人や社会と関わって起きる良いことなんて人にとってもこの地球にとっても何一つないだろう。空き缶たちよ、どうか目立たず関わらず孤独に寂しく生きてくれ。



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