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〜星野ロミやへずまりゅうは汚物の乗った皿〜 2025/01/30
数日前、料理研究家のリュウジという人が炎上していた。理由は「パスタの麺とパスタソースを一緒に茹でていたから」
まぁ、間違いなく公式なやり方ではないし、嫌な人は嫌なだろうけどわざわざ「これは嫌です・不快です」というほどのことでもない気がする。
恐らくパスタソースを一緒に茹でるのが嫌な人はパスタソースにある潜在的な『穢れ』を感じてしまうから嫌なのだろう。本当にパスタソースのパッケージが汚いかどうかに限らず、例えば一度汚物を乗せた皿を洗って完全に殺菌したとしても何となくその皿が汚く感じるように、潜在的な穢れを感じてしまうのだ。
この『穢れ』への意識は、人によって様々だと思う。汚物を乗せた皿(洗浄殺菌済み)でも全然大丈夫な人もいれば、パスタソースがダメな人もいる。
私がこの穢れへの意識と似ていると思うのが、元犯罪者への嫌悪感だ。私は、過去に犯罪を犯したり人に迷惑をかけた人間が今現在どんな善行をしていても嫌悪感を抱いてしまう。これは穢れへの意識に似ている。
具体例を挙げれば、星野ロミやへずまりゅうだ。星野ロミは過去に漫画村という漫画無断転載サイトを作り捕まった。へずまりゅうは過去に迷惑系YouTuberとしてとにかく人に迷惑をかけた。
この二人は今は普通にしているらしい。詳しいことは知らないけど星野ロミはプログラミングスクールを運営、へずまりゅうは奈良公園のしかを守る運動?みたいなのをやっているらしい。
私はこういう人たちにとても嫌悪感を抱く。過去にあんなことをしておいて何を善人面して生きているんだ、と思う。
「信用がない・本心でやっているとは思えない」という気持ちもあるけれど、それよりもこういう人たちが善人のように振る舞っているのにとにかく嫌悪感を感じる。虫唾が走るというのはまさにこのことだろう。そんな気持ちになる。
でも、「もう既に何らかの形で罪を償ったんだからいいじゃないか」という人もいるだろう。その理屈も分かる。犯罪者が罪を償い社会復帰するのはここ日本では当たり前のことだ。星野ロミとへずまりゅうが何してようがそれは自由だ。
星野ロミとへずまりゅうは汚物の乗った皿なのだ。既に消毒されていたとしても私はそれに触れたい、それを使いたいとは思わない。
こういった穢れの意識は人によってある。人によって許せることもあれば許せないこともある。星野ロミとへずまりゅうを許せる人もいれば、パスタソースと一緒にパスタの麺を茹でることを許せる人もいる。
どれが正解というわけではないけれど、自分の感覚を信じながら他人の感覚も受け止められればストレスの少ない人生を送れるのではないかなと思う。
そうやって生きたい。今のところ無理そうだけど。
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