神様への戯言。
麻枝准が失踪した。
アニメ「神様になった日」の悪い評判がSNS上で目立つ中、麻枝は最終回放送を待たずして自身のTwitterアカウントを削除した。
そして、12月26日深夜。最終回の放送を終えて、「神様になった日」の評判が良くなったか、と言われれば、微妙だ。皆口々に作品の疑問点をSNS上にアップしている。「2クールでやればいいのに」と、AB時代から言われ続けている意見も目立つ。ひなの話をもっと掘り下げてくれれば良いのに。
そしたら泣けるのに。
麻枝准が作った「泣きゲー」の文化を、現代のアニメにも欲している視聴者はたくさんいるのだ。
しかし気づいて欲しい。
麻枝准がやっていることは、昔から何も変わっていない。
今回の話の肝は、「ロゴス症候群」という病気だ。病気に侵される女の子と対峙する話なんて、keyのお家芸ではなかったか。Kanon、AIR、CLANNAD、ABで、病気や、病院に厄介になる登場人物が出てくる。こうなると、病気がテーマにならないkeyの方が珍しい。「24時間テレビみたい」と言う意見もちらほら見かけたが、そんなこと言ったら、keyはいつでも「福祉ポルノ」を叩き売って、泣きゲーとしてのジャンルを確立してきたのだ。
しかし「神様になった日」では、なぜか病気をテーマにしたことに対する非難も大きいのだ。今までの作品と手法は変わらないのに、これだけ差が出てくるのはなぜか。
それは、視聴者の目が変わったからではなかろうか。
00年代、泣きゲーとしてのジャンルを確立させたkeyは、20年経っても同じことしている。そりゃ、視聴者の目だって変わる。そんなご都合主義はないことを、世の中はそんなに甘くないことを、僕らは気づいていながらも、見て見ぬふりをしているのだ。そのくせ、麻枝に泣ける作品を用意しろとせがんでいる。麻枝は泣きゲー系統の作品を、PAワークスの手腕でもって、高いクオリティで提供している。しかし、「泣けない」と切り捨てる。
僕らは、麻枝准に、ないものねだりをしているのだ。
僕にとって、麻枝准は神様みたいな人だ。
思春期真っ只中の10代。憂鬱を煮詰めたような毎日。
そんな中出会ったCLANNADという作品に、僕は何度も救われた。
AIRという作品には、運命を感じた。
まさしく麻枝作品が、僕にとっての青春なのだ。
ひなは、陽太に助けられながら、再び神様になる日を目指す。
僕らも、麻枝が再び神様になれるように、応援し続けなければならないのではないか。
神様となって、再び元気な姿を見せてくれることを、望んでやまない。