流刑なるもの
おはようございます。
note毎日投稿88日目。
以前、新島トリップ(サーフィン)記事を書きましたが、新島の歴史について、簡単ではありますが書こうと思います。
ちなみに、新島サーフトリップの記事はこちらになります。↓
◆流刑の地〜新島〜
新島トリップの時、波が無さすぎて島内をウロウロしていたんですが、その時に「新島村博物館」なるものがあり寄ってみました。
それまで、新島といえば、「ナンパ島」やら「南国」みたいなイメージしかありませんでしたが、歴史を辿ると色々と勉強になります。
ちなみにこちらが「新島村博物館」のHPになります。
タイトルにもありますが、新島は「流刑地」として利用されていたようですね。
時は江戸初期の1668年〜明治4年の1871年までの約200年間に1300人余りのいわゆる「罪人」が流されたらしいです。
詳しく書かれている記事がありましたので貼っておきますね。
◆流刑人とは
罪人ですが、多くが軽犯罪者らしかったです。暴力事件や博打、窃盗で捕まった方々ですね。
軽犯罪で捕まり、島流しされるとは。。。なかなか恐ろしい時代ですね。
流刑人の中には、身分の高い高僧や名主もいたらしく、流刑された後、島での教育(読み書き、農耕の仕方)なんかを指南していたみたいです。
◆世界各国に流罪はあった
流刑、流罪は世界各地にあったらしいですね。
ウィキペディアの情報になりますが、源頼朝、ナポレオン、後醍醐天皇なんかも流刑された経験があるらしいです。
当時は、文化人や軍人は死刑にすると世論の反発が大きいため、この流刑、流罪を行っていたようです。
「見せしめ」「公開処刑」なんかではなく、静かにそっと刑を執行するみたいな感じですかね。
記事によっては、流刑は死刑よりも重い刑と残されているものもあるようです。
色々と深掘りしていくと面白いですねぇ。
ということで、今日は「流刑」「流罪」について、少し深掘りして調べてみました。
時代が進み、今ではこのような刑はありませんが、当時はどんなんだったんでしょうね。
サーフトリップでは「島」へ行く機会が多いと思います。島には島の文化、歴史があり、博物館なんかも面白いかもしれませんね。
それでは、今日もここまでお付き合いいただきありがとうございました。