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集合意識には共依存でゆく

ある種の集合無意識下では、自尊心や自己愛は通用しないから、必然的に共依存でゆくしかない。

個我みたいなのが崩れて、共依存的になりつつ、集合意識に没入して行くのが常なのだから、ある意味あたりまえのプロセスではあるのだが

ほんとうに惑星意識ほどおおきな波に包まれて、溺れている状態では自己意識などは抱けるはずもないのだった

やがて集合意識に溺れている苦しみさえもなくなって、自己意識が消え、平然としている自分にきづくと、あとは自ら集合意識の惑星を把んで取り込んでしまうのだ

イエスの磔刑は相当な供儀のようすだった。まざまざと夢見をして、ラザロとヨハネの同義性また、バプテスマ。ヤコブも大ヤコブと同義な気をもって、シモンは妹ではなかったか⁇とおもい至るのだ

集合意識に持って行かれるのは、磔刑に親い気がして、もう、宇宙船宇宙みたいな惑星意識に対して、はるか弁当箱のように治めてしまって食してみよう、と星空のランチョンマットを拡げだしてる。。

HAPPY AND...

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